いつか「乾杯」と再会する日まで
私にはもうすぐ2歳になる息子がいる。
やんちゃだけど、顔全体で表現する笑顔がとても魅力的で、
デザートにバナナがないとさめざめと泣くけれど、道行く人全員にバイバイと手を振るかわいらしさも備わっている。
まだあまり言葉ははっきりとしゃべることはできないが、この、何言ってるんだろう時期のかわいさもまた格別で。
何を言ってるかわからない言葉がとても長文のときは、
「もしかして発音ができないだけで、もう長い文章しゃべってるんじゃない?天才なの?」
と思っている。今もわりかしそう思っている。
そんな息子の、かれこれ半年以上続く習慣に、ごはんの時間の「乾杯」がある。
私はそこまでお酒を飲む人じゃないし、夫もそうだ。
お酒の場のどんどんカオスになる空気感は嫌いじゃないので、大学生のころはよく延々と居酒屋に居座りいつまても話こんだりもしたし、
社会人になってからは、仕事の延長線上にある飲み会もたくさん経験した。
ただ、大人同士の飲み会では、そこまで「乾杯」という言葉を意識もしていなかった。
会社の忘年会で、偉い人がさんざん話した後の乾杯の音頭や、結婚式の偉いおじさんの長い話の後の乾杯の音頭とか。
そのときのみんなで言う「かんぱーい」は、
まあそれは置いといて、と、一応言っておくか程度の、すぐ忘れ去られていった言葉たちだった。
友達との飲み会なんて、ひとまず、「おつかれー」とか「うぃー」とか言いながらグラスをカチンと鳴らす程度だ。
「乾杯」は、周りとの会話のスタートの合図といったような、飲み会の付属品だった。
まあそもそもそういうものかもしれないけれど。
しかし息子の「乾杯」は違う。
水の入ったコップを高々とかかげ、大きく息を吸い、こちらを向いて大きな声で「ぱんぱーい!!」と言う。
これは食事のはじめとは限らず、息子のタイミング、インスピレーションのままに行われるので、
いざそのとき私が口いっぱいにほおばっていようが、冷蔵庫にバナナを取りに行っていようが、急いで姿勢を正して着席し、ともにコップを掲げなければならない。
そして、私も、「かんぱーい!」としっかりとコップをコツンとしなければならない。
これは一度始まると3回はそのまま同じことが繰り返され、一度の食事中この乾杯タイムが2、3回は発生する。
食事に夫もいる際は、夫ももちろん参加しなければならない。
つまり息子は一度の食事中に10回以上乾杯することもざらなのだ。
はじめは、友達の子供が最近乾杯ができるようになったという話を聞いた私が、自分から息子のコップに「乾杯」をしたのだった。
「かんぱーい」と言いながら小さなコップにコツン。
そのときの、うれしそうな、目をキラキラさせた、今の何なの!?といった表情は忘れられない。
もう一度喜んでほしくて、私はまた、かんぱーいと息子のコップにコツンとした。すると、今度は自分からにやにやしながらコップをコツンと返してくれたのだ。
私もうれしくて、ありがとうー!!!と気持ち悪いくらいにやにやしていたと思う。
そこからまだ言葉がはっきり言えない時期も、「ぱい」だとか「ぱー」だとか少しの言葉を添えて、「乾杯」をしてくれるようになった。
いまはもう「ぱんぱーい」まで来てるので、「かんぱーい」と完全体になる日も近い。
実際たまに「かぱーい」とかは言えているし。
多分私は、息子と出会う前に重ねてきた「乾杯」の数をとうに超えて、息子と「乾杯」しているのだろう。
私たちは、どんなにやんちゃでも、機嫌が悪くても、眠くても、疲れていても、毎日毎日欠かさず「乾杯」を続けてきた。
当たり前になった「乾杯」。私の「かんぱーい」の言葉を心待ちにしてくれている息子。笑顔になる瞬間。
こんな幸せなことはきっとないのだ。
本当にありがとう。
きっと「かんぱい」が言えるようになってしばらくしたら、我が家の「乾杯」タイムは少しずつ減っていくのだろう。
そのまま、なくなったことも気が付かないまま日々の暮らしに追われ、
息子はどんどん成長し、もっと複雑で、物知りで、強い人間になっていくのだろう。
もしかしたら、大人になって、初めて2人でお酒を酌み交わすとき、息子は「親と乾杯なんて気恥ずかしい」だとか思ったり、大人になったことを自覚して誇らしくなったりするかもしれない。
私はそのとききっと、遠い昔を思い出して泣きそうになるのだと思う。非日常になっていた「乾杯」に再び出会えたことに。
だから、もしそんな日が来たら、しっかり「かんぱい」と声に出して、グラスをコツンとしたい。
「久しぶりに乾杯してくれてありがとう」