なぜわたしは神楽坂で飲食店をやるのか?
東京へ引っ越し神楽坂の炭火焼きの店作りを0からやっている、あかりんごです。今回は、わたしが神楽坂のお店をやるのは食肉の循環をつくりたいからだよ、というお話です。ちょっと長くなりますが、わたしがなぜ東京に来たのかを、お話しさせてください。
「なぜ草だけで大きくなるの!?」
わたしの母は、週末になると畑や牧場に連れて行ってくれました。そこで芋掘りや野菜の植え付け、収穫体験をさせてくれました。
幼少期に頻繁に連れて行ってもらった生産の現場。ある日、小さい時のわたし(多分、3~4歳だったと思う)に雷が落ちます。それは泊まりがけで行った三重県の「モクモク手づくりファーム」にて。
朝、眠い目をこすりながら連れて行かれた先は酪農体験。わたしは大きなテミに牧草をいっぱいに乗せて、乳牛であるジャージー牛の前に持っていきました。そして草をジャージー牛の前に置いてやります。その牛は長い舌を使って美味しそうに草を喰むのですが、そこでわたしはある疑問を持ちます。
「あれ?デカくね?」
当時のわたしは肉を食べ、魚を食べ、米を食べ。様々なものを食べて、この大きさ。ジャージー牛は、草食べて、草食べて、草食べて、この大きさ。
「なんで!?!?」
雷が落ちました。圧倒的な敗北感。草だけで当時の自分の40倍の体重に到達した牛という存在に、一生かかっても敵わない。負けを認めるところから、牛への憧れと探求が始まりました。
酪農の世界に飛び込む
そんな過去があり、高校時代は志望校=農学部一択。高校一年生から志望していた神戸大学の農学部に入り、大学生活がスタートしました。
大学には夏と冬に2ヶ月ずつ長期休みがあります。平常時は座学、長期休みには神戸を飛び出して北海道へ。酪農家さんの家に住み込んで酪農のアルバイトをして北海道を渡り歩きました。
知れば知るほど、牛は面白かった。ただの無感情な家畜、ではないんです。社会生動物の一面を彷彿とさせる厳しめのヒエラルキーがあるし、何より好奇心旺盛。新参者のわたしが牛舎に入るやいなや近づいてきて、くんくんしてきたり。
そして牛を飼う人もまた、面白かった。皆それぞれ、哲学があるんです。生産性を重視する酪農家さん、一頭ずつ名前をつけて可愛がる酪農家さん、牛のことを「怖い」と言った酪農家さん。それぞれ牛という生き物に向かい合って、ともに毎日時間を過ごしたからこそたどり着いた信念みたいなものがありました。
日本らしい畜産ってなんだろう
酪農アルバイトはとてもいい経験になり、わたしは毎回心を満たされる思いで神戸へ帰りました。ですがここで、ある問いにぶつかります。「日本らしい畜産ってなんだろう」ということです。
乳牛は1日に25~35kgのお乳を出します。その泌乳量を支えるのは、たんぱく質や炭水化物、脂肪などの栄養素源となる濃厚飼料です。この濃厚飼料は大豆やトウモロコシでできており、この9割は海外からの輸入に頼っています。
会社の経営とは(利益)=(売上)ー(経費)という方程式で成り立ちます。そしてこの飼料費は経営コストの半分ほどを占めます。
そしてその濃厚飼料を原料として配合飼料の価格はここ20年で2倍以上になっています。これまでもE10(エタノール10%混合ガソリン)の義務化によるバイオエタノールの製造やウクライナ情勢によって大きな価格変動がありました。現在飼料が高騰した際には国からの補助金で補填されますが、この畜産が1000年後も続くのか?という疑問を、当時のわたしは持ったのでした。
日本の資源で牛を飼う!
「牛は草食動物である。日本の2/3は森林である。ならば日本の資源を使って牛を飼うことはできないだろうか?
この問いを立てたのが、大学2年生の時です。岩手県にあるなかほら牧場にて、2週間研修をさせてもらい、山地酪農たるものを学びました。
ここでは広大な土地にノシバが広がっています。下の写真のちょっと緑が濃くなっている場所は牛たちがフンをした場所であり、ここで栄養素や牛の胃袋の中で傷がついたノシバの種が芽を出している、つまり循環が生まれているのです。(ノシバは草食動物に食べられる前提で、傷がつかないと芽を出さないらしい。共生関係で面白いよね)
ここの牛乳はとにかく美味しかった。いわゆるグラスフェッドの類なんだけど、脂がさらっとしていて、特にバターが最高でした。ですが一方で、泌乳量はもちろん、濃厚飼料を食べた牛よりは少なく、だからこそここの牧場の牛乳は500mlで1,188円。東京の銀座のママが買うんだ、と聞きました。工程にこだわると生産量が落ちて、たくさんの人に届かなくなってしまうんだ、という現実も、当時のわたしにとっては衝撃でした。
グラスフェッドは乳牛だけではありません。グラスフェッドの肉牛を飼育・研究している北海道 八雲町にある北里大学獣医学部附属フィールドサイエンスセンターにて、研修をさせて頂きました。
特徴は、なんと言っても「資源循環型畜産」。輸入穀物飼料はもちろん、国内からも一切飼料を購入せず、牧場内の牧草のみで牛を飼育しています。牛が排泄した糞尿は堆肥として処理し、採草地に散布します。(すごい!!!)しかも増体成績は黒毛和牛と変わらない結果が出たそう。改めて日本の資源で肉を作るという可能性に胸が踊りました。
そもそも日本の山に鹿いるジャン!
日本らしい畜産を追い求めたわたしは、どんどん山に近付いていきました。そして「牧草地に鹿が出て困っている」という話を聞いて初めて、わたしはは重大な存在を忘れていたことに気付きます。
そうです、鹿です!!!鹿は牛と同じ鯨偶蹄目に属する反芻動物で、牛同様に草だけを食べて身体を大きくすることができます。
盲点!!!灯台下暗し!!!
そういえば当時農業ボランティアをしていた兵庫県 丹波篠山市の農家さんも、鹿に農作物を食べられたと言って悲しんでいた。そこで何かが繋がったような感覚がありました。
鹿は山で生まれ山で育ちます。つまり餌から何まで100%純国産です。これぞ、日本の資源の結晶化。わたしが当時求めていた「循環する肉」だと思ったんです。
しかもめっちゃ鹿肉うまぁああああ!!!!
神戸牛の研究をしていて霜降り至上主義だったわたしに赤身の旨みという衝撃のカルチャーショック。これはうまい。うますぎる。しかもなんだって?皆食べないだって?こんなに美味しいのに、食べないの!?
そんな鹿肉の味への感動と、現状のギャップに、これを解決しなきゃ!みたいな責任感がスパイスで加わり、わたしの「鹿」との人生が始まりました。
鹿に関わるほとんどの仕事を経験する
鹿肉を食べるのが好きでした。丹波篠山の公民館に毎月学生を集めては鹿肉を食べさせて帰すというイベントをやりました。地域のお祭りにも鹿カツなどを出店し、神戸大学の学祭にも鹿肉を出店しました。鹿革を使った商品開発プロジェクトにも関わったりと、鹿ならなんでもやってみていました。
探究が好きなわたしにとって、まだ経済的にも、利活用的にも答えが出きっていない鹿というジャンルは最高でした。
大学卒業前にクラウドファンディングを実施。1,429,752円もの資金を集めることができました。そしてキッチンカーの作成は3月に本格的に始動し2ヶ月で完成。同年5月に、キッチンカーとしての鹿肉料理提供を本格的に開始しました。(クラファンリンク)
その後、北海道に渡り鹿革を使ったジャケットショップの販売員と鹿肉メニューを使ったバー&カフェの立ち上げを行いました。ジャケットショップでは店舗で初めてとなる鹿革製品 サコッシュを販売。1枚30万円の鹿革ジャケットを2着販売しました。
また、ショップの営業の合間には、日本全国へ鹿角製品を卸す工場で鹿角工芸を学びました。細かい作業が苦手なわたしは怒られてばっかりでしたが、なんとかシバシバする目をカッ開いて頑張りました。
そして夏と冬に同じく北海道にて鹿の解体をしました。夏には北海道の南で。大きいものは120kgの個体を捌き、朝だけで搬入が25頭という、同業者に言ってもギョッとされる数を経験しました。ここではペットフードの製造も行っており、胃袋や内臓といった一般的には未利用資源とされる部位をほとんど活用しワンちゃんのおやつなどに加工するという経験もさせて頂きました。そういった意味での鹿のポテンシャルを改めて感じました。
冬には十勝で。食肉としての鹿肉をつくるジビエ処理施設にて、鹿の解体を行いました。ここでは師匠に捌き方はもちろん食肉をつくる上で大切な心得や衛生管理を厳しく教えてもらいました。ここのお肉は格別で、これ以上美味しい鹿肉に会ったことがない、くらいでした。わたしは鹿解体師という肩書を名乗りたい、と思ったのはこの経験がわたしにとってめちゃくちゃ重要だったからです。
ここでは鹿を一時的に飼育しており、だからこそ家畜と同じ衛生基準で鹿を捌くことができました。よく昼休みに養鹿場に行って藁に隠れ鹿たちの様子を観察していましたが、鹿も牛同様、激しいヒエラルキーがあり、メス同士でも餌を食べる順番を間違えた下っぱが殴られるシーンがありました。
なぜ次の一手は東京なのか
今まで探求心の赴くまま、生きてきました。これがしたい!これを見たい!に従ってどこでも行きました。「循環」を感じるものに惹かれ、今あるその流れを学びました。経験してきました。
循環を「経験した」次に、わたしはその循環を「つくる」をしてみたいと思っています。
実は、肉を食べるのは当たり前文化が日本で始まってまだ50年しか経っていません。まだまだ探求の余白があるのです。日本らしい畜産、日本らしい肉を、もっと体現していける。そう思っています。生産から流通、お客様に届けるところまで。かっこいい食肉の循環を、かっこいいまま体現した、わたしなりの循環を、つくりたい。
まずは経済を回さないと循環も何もない!
でもどうすればいいか分からない。そんな中、肉にとって最高の火入れ方法である「炭火」を使った囲炉裏焼きのお店をしないか、と小島ユウジさん(@yuji_k0jima)からお声掛けいただきました。「やきとん木々屋」を池袋で4店舗、「焼鳥と酒 木々屋」を1店舗経営されている、つまり豚と鶏の循環を体現されている小島さん。バシバシ経営を黒転させている姿を見て、わたしも!と思い、東京へ飛び込んでみました。
「kemuri神楽坂」というお店をしています
場所は和と異国情緒が交差するロマンスの街、神楽坂。賑わう大通りから少し離れ、静かな地下に「kemuri神楽坂」はあります。全席半個室で囲炉裏を完備。ほのかな光が差し込む店内でちらつく炭の炎が最高のひとときを作り出します。
わたしはここから、食肉の循環をつくりたいと思っています。現在のメインは梅山豚というブランド豚。本当に赤身も脂身も美味しい豚肉で、かつ飼料の国産割合も日本最高レベルです。ここに鹿肉を入れ込んでいくため、焼きの猛練習を行っています。
今後は食肉の循環をつくる、という中長期的なビジョンを軸に、日々の成功も失敗も、全て正直に発信していけたらと思っております!
今後とも、よろしくお願いします!!