#11 子供に求める前に大人が変わる
以前もお話したように、私は、新潟の田舎の出身である。
私は、自分の田舎が大好きだし、そこで生まれ育ったことにも誇りを持っている。
私は機会に恵まれ、18歳までは地元の新潟の田舎。大学・社会人と東京で生活してきた。
ただ、そこで感じたのは、子どもの時に習った事と社会人で求められる事のGAPである。世に言う、地方格差・所得格差・情報格差・体験格差などを肌感覚として感じ、自分の18歳までの地元での人生が一体何だったのか?と思うほど、地元の田舎と東京が異世界に感じ、苦しかった。
例えば、
大人の言う事を素直に聞く事が評価につながって来た学生時代から、
自分の意思を表明し、むしろ違う観点を伝えた方が評価される社会人。
与えらえれた問題を解き、与えられたタスクを対応すれば、OKの学生時代から、自分から目的や問いを設定して、動かないといけない社会人
上記を通して感じることは、
田舎がダメだとか、東京がいいとか、情報が少ないのがダメで多いのがいいとか、そういった単純な2項対立で物事を判断したいということではなく、与えられた環境は環境として受け入れながらも(事実、自分の地元での環境に対しては、なんら不満はなかった)、社会人としての生き方・考え方というのは学生の時代から早く知りたかったし、そうすれば、社会人としての立ち上がりも早くできたのではないか?。そしてそれは、実は多くの人にも当てはまるのではないか?という、一種の確信に似た感覚を持っているということである。
こういった事を肌感覚として、感じてきた人間として、自分の子供には伝えていきたいと思うし、微力ながらでも、これからの未来を担う子供たちに伝えらえるものがあればと思う。
こういった議論になると、やはり対象は「子供への教育」という議論になり、「学校教育をどうするか?」「カリキュラムをどうするか?」「子供に何を教えるか?」という話になりがちだと思う。
それはそれでもちろん大切なお話で、私も今後、このあたりにも絡んでいきたいとは思うのだが、一方で実は「大人」が変わらないといけないのでは?大人が変わることが、一番の近道なのではないかとも思う。
自分の幼少期や地元での学生時代を考えると、誰からの影響を受けてきたか?と考えると、「親・親戚などの親族」「学校の先生」「部活の監督」である。むしろ、その人たちの考えが、自分の学生時代の価値観を培ったといって間違いない。
ただお伝えしたい事は、その大人たちは「100%愛情をもって、自分と向き合ってくれていた」という事である。つまり、私の周囲の大人たちは、自分たちの経験を元に、正しい(と思っている)生き方を教えてくれただけであって、それが将来、子どもを苦しめることになるという事は微塵も感じていない(自分自身も、周囲の大人の方々に恨みなどは全くなく、今でも尊敬している)。
ただ、大人の自分たちが悪気なく、良かれと思っている事が逆に、人を不幸にしてしまうという事があると考えた時に、「親」「先生」「会社の管理職」など子供や20代の若者に接する大人たちが、自分の経験に頼り切らず、子どもや若者たちにどういう価値観やスキルをつけさせることが、これからの時代に必要かを学び直し、伝えていくことが大切なのではないかと思う。
それが、子どもたちの明るい未来を切り開き、結果、日本が栄えていくというGOODスパイラルに入る手段なのではないかと思う。
ぶっとんだ話かもしれないが、
・成人になったら、日本人全員が、今の子供たちに対して、どういう対応をとっていけばいいか?という大人の授業を必ず受ける
・子供が生まれたら、育児・教育の勉強を必須とする(国、行政が)
・企業の福利厚生として、子どもの育て方や若者のマネイジメントの仕方の研修をいつでも受けられるようにする
など、大人が、子どもたちのために、自分の価値観を常に疑い、壊しながら、子どもたちと向き合う事ができれば、いいのではないかと思う。
詳細は、改めて別の記事で書こうと思うが、
やはり子供たちに身に着けさせる力としては、「自律力」であり、
自分でどのように目的を設定し、考え、判断、アクションできるか?
その結果として、自己肯定感や自己効力感を高め、他人軸ではなく、自分軸で幸せを感じて生きていける子供を増やすことだと思う。