数年前、お葬式があった。 お寺で、葬儀後の食事の際に、お坊さんがお話をしてくれた。 脂ののった、40代くらいのお坊さんだ。 従兄弟のお姉ちゃんが質問した。 死んだ人はどこにいくのか、だったと思う。 死んだのはその従兄弟の父親だ。火葬の際、炉の扉の前で、父親から離れようとしなかった。 お坊さんは、死んだ後の物語を話してくれた。 目がきらきらしていた。 ああ、取り返しのつかないこと、大切な人の死をまだ体験していない人ではないか、と思った。 すばらしい本を朗読しているような雰
『異人たち』を見た。 寂しさを、初めて、単体で理解した。 それまでは、 たとえば誰かが死んで悲しい&寂しい、 子供の時に、数日間、親と離れて寂しい、など、 悲しいとセットであったり、一時的なものとして、沸いては消えるものであった。 こんなに確固とした寂しさがあるなんて、気づかなかった。 孤独、ともちがう。 このようなときの孤独は、集団と比較して、だれかは和気あいあいとたのしく、 それに比べて私は孤独で物悲しい、というような、 だれもわかっちゃくれない。といった感じと思
「アウトブレイク」を子供の頃に観た。 初めて観てから、何度も繰り返し録画を観ていたらしい。なんでだったの?と、家族に聞かれた。 それは、主人公の元妻がエボラにかかり、特効薬ができることが確定したにもかかわらず、主人公のその話を信じようとしない、もう少しの辛抱に向かおうとしないのを見て、 主人公が空気感染するとわかりながら、自分の防護服の呼吸器を外すシーンがあったからだ。 これほど、その人の立場に立つということがあるだろうか、と、衝撃を受けたのだ。 励ます、ということの
「流浪の月」を観た。 出演者全員が良くて、その人も役者や有名人じゃなくてただの人で、物語に没頭できた。 音なのか、音楽なのか、飛び出ずに作品と一体化していて、それでいて大事なところでは必ず必要な事を伝えてきて、すごくシンプルにストレートに物語を感じられた。 男の方は、少し、背景シーンが無いせいか、謎が残った。 女の方は、すごく状況や気持ちがわかった。この世で安心できる場所はわずかだ。 2人の人がいて、その2人の世界と、外からの見え方は異なるし、外の持つ先入観であり決
「ノマドランド」を観た。 ああ、そうか。ということと、 ただただ、画面がきれいだった。 ああ、そうか。というのは、言葉にできるかわからないのだけど、主人公の選択がわかる気もする。でも自分がそうできるかはわからなくて、未知のものを見たような気分がする。 それから、自分の個人的な先入観が強い。と自覚した。最初の主人公の様子を見て、気の毒と思ったり、ムリしてる、強がってるんだな、と思ってた。 でも、ただ感じているだけかもしれない。感じた上で、選びやすい選択ではないけど、ただ
「わたしの叔父さん」を観た。 ええ〜そうなるの?!という映画だった。 わたしの頭は現代的な価値観に侵されているのだろうか。わたしが変なのかな。 思ってもない終わり方で、いまだによくわからないけど、それが、主人公が本当に望むことだった。のかな?と思った。 人が何を望むかはわからない。 結末は決まっていない。 改めて、自分の勝手な枠組みを壊せる映画だった。 びっくりしたけど、観てよかった。 何が良いかは、その人にしか決められない。
『竜とそばかすの姫』を観ました。 歌がとってもよくて散々聴いていて、映画はあらすじも知らず観ました。 思っていたのと同じような、より現実的なような、そうでないような。 途中で、主人公が人を守る時に顔を傷つけられるシーンがあります。 わたしが感じたことですが、ここだけ飛び出しちゃったな。と思いました。困難なことに立ち向かったことを表現するために顔を傷つける、という必然が傷だけにのっかったので、浮いてると感じました。 例えば、ナウシカも傷を負うシーンがありますが、流れの中
『カモンカモン』を観ました。 良いであろうと期待していて、そのまま期待を超えてきました。 こんなに人の顔を見たのは初めてです。 会社のクリエイティブ助成金(チケットの半額を出してくれる)を使うので、なにか理由を見つけておかないと、と考えて観はじめて、でも、主人公と子供のやり取りや状況に気を取られてそれどころではなくなりました。 笑ってごまかす。 はぐらかす。 からかうようにして矛先を曲げる。 これは、してもいいんだ。 人として当然なんだ。 だって、答えたくないの。その
幸せな人が好き 幸せに見せてる寂しい人もいるけど違う 幸せとは関係がない人もいる まちがえないように
お経をあげてもらい、お墓でもお経、お線香、お団子を捧げ、みんなで食事をした。 その時のお坊さんの話 ・故人の教えを広めることが供養 ・まわりで自分が形作られる