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マタイ福音書 15:29〜39
すると、イエスは彼らに言われた。「パンはいくつありますか。」彼らは言った。「七つです。それに、小さい魚が少しあります。」そこで、イエスは群衆に地面に座るように命じられた。そして七つのパンと魚を取り、感謝の祈りをささげてからそれを裂き、弟子たちにお与えになったので、弟子たちは群衆に配った。人々はみな、食べて満腹した。そして余ったパン切れを集めると、七つのかごがいっぱいになった。食べた者は、女と子どもを除いて男四千人であった。
マタイの福音書 15章34~38節
「わたしについてきなさい」。そのイエスの招きに従った弟子たちは、実に多くの主がなされる奇跡を目撃してきました。イエスのもとへ連れてこられた足の不自由な人たち、目の見えない人たち、手足の曲がった人たち、口のきけない人たち、他にもあらゆる病が、イエスによって癒やされました(マタイ15・30)。イエスを取り巻く人たちはますます増えていき、男性だけでも四千人の群衆へと膨れ上がりました。女性や子どもの数を合わせれば、一万人をゆうに超えていたはずです。
イエスは弟子たちに、大きな仕事を投げかけました。それは、「お腹を空かせた約一万人の全員に食事を与える」、という想像を絶する働きです。その時、弟子たちの手もとにあったのは、種なしパン七つと小さな干し魚が少しだけでした。言うまでもなく「これでは、まったく足りない」と、弟子の誰もが思ったことでしょう。どうすることもできない弟子たちは、手の内にあるものをすべてイエスに差し出したのです。
しかし、弟子たちとは対照的に、イエスはその少量のパンと魚を手に取っても「これでは、まったく足りない」と、あきらめませんでした。むしろ、弟子たちと一緒に働けることを大いに喜んで、天の父に感謝を祈りました。そして配ると、そこにいた全員がお腹いっぱい食べることができたのです。食べ残したパンが、七つのカゴにいっぱいになりました。
一万人の腹ペコを満たした食べ物に対して、弟子たちが差し出したものは0.1%にも満たない割合のものでした。99.9%はイエスが増やして提供したものです。それでも、イエスは弟子たちと共に成し遂げた御業を喜びました。
家族でキャンプに行くと、テント張りを子どもたちが手伝ってくれます。当然、親が自分でした方が、やり直さなくてもいいし、効率よく速くテントが張れます。しかし、親にとっては子どもと一緒に作業するのが楽しいので、子どもがほとんどしてなかったとしても、完成したテントを眺めて一緒に喜んで満足するのです。
子どもの手を借りるよりも、親だけで済ませたほうが、速く簡単にできることは確かです。同じように、神は私たちの手伝いの手を借りなくても、働きを成し遂げることができる全能なる方です。それでも、神はあなたの賜物を必要としてくださり、共に働くことを喜んで満足するのです。
神の国に仕える働きをする時、あなたは自分の能力や賜物を見て、「これでは、まったく足りない」とがっかりしてしまうことはないですか。「自分はまだ十分ではないから」と、賜物を使わずに隠してはいませんか。
イエスは、あなたが差し出したものを見ても、まったくそうは思いません。むしろ、あなたが自分の賜物を差し出すことを、一緒に働けることを、大いに喜んで祝福してくださいます。そして、あなたと一緒に働くことを通して、あなたが関わる人々をすべて祝福し、満たされるお方なのです。さあ、今、あなたのその手の内にあるものを、イエスに差し出しましょう。
「イエス様、わたしの持てるものをすべて、あなたに捧げます。わたしの足りない部分、欠けている部分を、補い、増やし、成し遂げてください」。