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ルカ福音書 2:21〜35 「何もかも委ねる信仰を身につける」

  1. まず、タイトルの聖書箇所を祈りながら読みましょう。

  2. それから、下のコラムを読みましょう。

  3. 最後に、ここから発見したことや教えられたことを感謝して祈りましょう


シメオンは両親を祝福し、母マリアに言った。「(…)あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くことになります」…
ルカの福音書 2章34~35節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

神の計画にはいつも驚きがある

マリアとヨセフは、幼子イエスを神に捧げるためにエルサレムの神殿に連れて行きました。そこで待ち構えていたシメオンという人が、その新生児が「約束されたメシア(救い主)」だと知っていたことに、両親は驚きました。

シメオンは聖霊によって「あなたは、救い主を見るまでは決して死なない」と告げられていたので、何十年も待ち続けていました。そして、ついに彼は救い主イエスが神殿に入ってこられるのを見たのです。かつて去って行ったシャカイナ・グローリー(神の臨在ともなう栄光)が、ついに神殿に戻ってきたのです。

シメオンはその幼子イエスを自分の腕に抱いて、神をほめたたえました。「主よ。私の目はあなたの御救いを見ました。すべての人に備えられた救いを。異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの栄光を」(2・29〜32)。それを聞いた両親は、幼子イエスの救いの計画が世界の果てにまで及ぶ(イザ49・6)ことを知り、ますます驚きました。そしてシメオンはようやく、安らかに世を去ることができたのです。

剣が心を刺し貫く

幼子の両親を祝福したシメオンは、マリアにこう切り出しました。「あなた自身の心を、剣が刺し貫くことになります」。

マリアはその言葉がどういう意味なのかと、天使ガブリエルから受胎告知された時と同じように思い巡らしたことでしょう。彼女は救い主を身ごもって産み育てるという特別な召命に、「お言葉通りこの身になりますように」と天使に答えました。マリアはどんな困難があったとしても、神の守りの中でヨセフと一緒に乗り越える覚悟で「はい、主よ」と応えたのです。しかし同時にマリアは、その召命には何かとても深い痛みと大きな悲しみが伴うことを、その時に悟ったのです。

実際、愛する息子が成長して、30歳で宣教活動を始め、最後には十字架の上で苦しみ死んでいくイエスを見上げながら、そのシメオンの言葉を繰り返し思い起こしたことでしょう。

委ねることを学ぶ

マリアが天使に答えた「はい、主よ」は、母と御子の二人に計画されたすべてのことに「はい」と言ったことを意味します。私たちは、人生の節目に試練や悲しみを経験した時に、すべてが自分の思い描いた通りにはならないことを思い知らされます。その都度、神に人生を委ねることを学ぶのです。

神に「はい、主よ」と委ねるときには、イエスがゲッセマネの園で祈ったあの祈りを捧げなくてはいけません。「わたしの願いではなく、みこころがなりますように」(ルカ22・42)。

あなたが人生で初めて、神に「はい、主よ」と答えて人生を委ねたのはいつでしたか。あなたの最初の「はい」は、主と共に歩む毎日の「はい」につながっています。

「はい、主よ。はい、主よ。」

マリアの最初の「はい」は、その後の彼女の生涯の「はい」につながっていきました。身重でベツレヘムへ旅することになった時。ヨセフと宿を探し回りながら、家畜小屋に泊まることになった時も。彼女は「はい、主よ」と従い続けました。

マリアの最愛の息子が、十字架を担いで路を登っていくときも、力尽きて倒れたときも、十字架に釘で打ち付けられた時も、苦しみながら息をひきとった時も。彼女は、何があっても最善以外はなさらない天の父に委ね切って「はい、主よ」と答え続けたのです。

やがてマリアは、墓からよみがえったイエスと出会いました。委ね続ける彼女を通して、偉大な御業を主ご自身が成し遂げてくださいました。「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」(詩篇37・5)とある通りです。

神はあなたのために、「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことがないものを、(…)備えてくださった(のです)」(第一コリ2・9)。毎日、「はい、主よ」と主に委ね切りなさい。主が成し遂げてくださいます。

「イエス様、最初にあなたに『はい、主よ』と従ったことが、、毎日の『はい、主よ』へ導かれていることを感謝します。あなたに御心だけがなりますように」。



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