見出し画像

イザヤ書 7:10〜14 「主の臨在で満ちる祈り」 (クリスマス)

あなたの神、主に、しるしを求めよ。よみの深みにでも、天の高みにでも。(…)それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。イザヤ書 7章11、14節

新改訳聖書2017

史上最悪

ユダ王国のアハズ王は悪い王様でした。イスラエル史上最悪と言ってもいいでしょう。この王はいつも神に逆らっていました。こともあろうか、異教の神々であるバアル神やモレク神、そしてアシュラ神を礼拝していたのです。イスラエルの神以外なら何でも拝んでいました。

彼は周辺国との戦争となり四方八方から攻撃を受けて窮地に追い込まれました。それでも主なる神に助けを求めないで、異教の神モレクに頼ったのです。邪神モレクには、戦いに勝つために幼児のいけにえが捧げられました。

恐ろしいことにアハズ王は、自分の息子をいけにえとし火の中をくぐらせて、モレク神に捧げました。自分の生活を守るために小さな命を犠牲にする行為は、創造主なる神が最も忌み嫌う悪しき罪です。そのささげ物を喜んで受け取るのはもちろん背後で働く悪魔なのです。

見捨てない神

そのアハズ王に、神は預言者イザヤを遣わしました。イザヤは「偶像崇拝をやめて、まことの神に助けを求めよ」と王に強く迫りました。

しかし、イスラエルの神になかなか頼ろうとしない王に、イザヤはこのように強く言いました。「あなたの神、主に、しるしを求めよ。よみの深みにでも、天の高みにでも」(イザ7・11)。しかし、アハズは「私はしるしを求めない」と拒否したのです。

アハズ王タイプの人々

私たちの身の周りにはアハズ王タイプの人たちがどれだけ多いことでしょう。窮地に追い込まれても最後までキリストを拒み、人間のものに「頼ろう、助けを求めよう」、という人たちが余るほどいます。社会的地位、名誉、財産、高学歴、お金、占い、魔術、神社、寺、仏像、墓や仏壇で先祖崇拝、哲学に自己啓発、新興宗教、スピリチュアリズム、悪魔崇拝、薬物、etc.。これだけ怪しいものに誰が騙されるのだろう、と思える宗教にはのめり込むけど、聖書の神には絶対に近寄らないという人々も大勢います。

アハズ王はイスラエルの神を拒んで、強国アッシリア帝国へ助けを求めました。助けてもらう見返りに、エルサレム神殿などから持ち出した宝物で貢ぎ、「戦争の神モレク」に勝利を拝みました。しかしその後、アッシリア軍はあっさりと手のひらを返すようにアハズ王の国へ向きを変えて攻撃を仕掛けてきたのです。今度こそ本当の絶体絶命です。

現代でも、主なる神に助けを求めずに、この世の中のものに頼ろうとする人たちには、まったく同じことが起こります。最後には、自分が頼った偶像によってその人は滅ぼされるのです。これは悪魔の常套手段です。

しるしを求める本当の目的

今日、あなたは、どのようなしるしを主なる神に願い求めますか。病気のいやしでしょうか。学校や職場での人間関係の和解でしょうか。夫婦や親子の関係の回復でしょうか。業績のV字回復でしょうか。経済的困窮からの脱出でしょうか。心の闇からの解放でしょうか。ここで注意したいのは、もちろんしるしだけを求めても意味はありません。しるしを通して、生ける神キリストと出会うのが私たちの真の目的です。

もしからたら、誰が見てもわかりやすく劇的なしるしを見たいと願っているかもしれません。あのバラムのロバがしゃべったり(民数22)、ギデオンが置いた羊の毛だけが露でびしょ濡れだったり(士師6)、ヒゼキア王が見たように日時計の影を10度戻したり(イザ38)したことを思い出してください。神はあなたに対して、どんなしるしでも「見せることができます」。

あなただけのしるしは与えられている

アハズ王は神からのしるしを拒否しました。しかし、拒絶されてもなお、神はしるしを与えることを止めませんでしt。そして、預言者イザヤは彼にこう預言しました。「それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」(イザヤ7・14)。救い主イエスが処女マリアから生まれるというしるしは、神はイスラエルを見捨てず共にいて必ず救い出すことの励ましです。

同じように、たとえあなたがしるしを求めていないとしても、それでも「わたしはあなたと共にいる」ということ知らせるために、すでに主自ら、あなたにしか分からないような無数のしるしをすでに与え続けてくださっています。

しるしを見つけ出す方法

だから、今、あなた自身のためのしるしを求めなさい。しるしを得るために、あなたが何かを努力して、受けるにふさわしい者になろうと頑張る必要はないのです。あなたがすべきことは一つです。それは、それらのしるしが神からだと悟るように、「霊的なあなたの目と耳を、いつも開いておく」ということです。

そのためには、日々、すべてのことに感謝を祈る習慣を身につけなさい。どんな小さなことでも、「感謝することがない」ということは絶対にありません。ネガティブな出来事にさえも感謝を見つけるのです。そして、日常の中に隠されている驚きを探し発見するのです。そうすれば、あなたは気づくでしょう。「わたしの人生は、インマヌエルなる主で満たされている」と。

「イエス様、あなたが私と『会いたい、話したい、助けたい』と願っていることをありがとうございます。今日も、あなたのしるしを見せてください」。

いいなと思ったら応援しよう!