見出し画像

マタイ福音書 11:28〜30 「主イエスから深く学ぶ方法」

わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。
マタイの福音書 11章30節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

  1. まず、タイトルの聖書箇所を祈りながら読みましょう。

  2. それから、下のコラムを読みましょう。

  3. 最後に、ここから発見したことや教えられたことを感謝して祈りましょう

くびきを負う雄牛

くびきに繋がれている雄牛が畑を耕している様子を見たことがある人なら、それは重そうで、窮屈そうで、苦しそうなイメージを持っているでしょう。実際に、日本では「くびき」という言葉は、何か自由を束縛されているネガティブなイメージがあります。

イエスの時代のくびきとは、二頭の雄牛が一緒に働くための横木についた頑丈な留め具です。若くて経験の少ない雄牛はベテランの牛と同じくびきを背負うことで歩調を合わせられ、重い物を負担を少なく背負い歩く方法を訓練されます。

くびきのネガティブなイメージ

「あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしに学びなさい」。イエスはそう教えます。しかし、主イエスのくびきを負うことは、想像するだけで圧倒されてしまうのではないでしょうか。

イエスと共に歩むということは、かなり高い基準で生き、どんな誘惑も跳ね除けて、寝る間も惜しんで祈りや宣教の働きにいそしみ、何事も父の御心に従順に、殉教を覚悟して身を捧げていく、考えるだけで疲れ果てて怖気付いてしまいます。

イエスのくびきは脅威ではない

しかし、イエスの言葉によく耳を傾けると、「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い」そして、結果的には「疲れた人、重荷を負っている人は、たましいに安らぎを得る」と主が保証しています。イエスのくびきを負うことは、あなたにとって最高の休息となるのです。

考えてみなさい。イエスの働きのくびきを追う時、あなたはイエスの歩幅に合わせられます。まさにその時、イエスがいかに柔和で謙遜な者かを一緒に体験するのです。あなたのために十字架の横木を背負われたイエス、あなたのすべての罪を背負われたイエス。このお方と一緒にくびきを背負う時、そのほぼ全部を主イエスが担ってくださっていることを体験するのです。

イエスのあなたへの切なる願い

あなたは今、どのような重荷を一人で孤独に背負っているでしょうか。職場での失敗やパワハラの被害でしょうか。崩壊した家庭でしょうか。思いがけない怪我や病気でしょうか。突然の解雇や怪我による休職でしょうか。子どもの不登校や激しい反抗期でしょうか。働けど働けどギリギリに切り詰めて楽にならない生活でしょうか。抜け出せない、過去の傷やトラウマの苦悩でしょうか。

今日、イエスは、あなたのその重荷を同じくびきで一緒に背負いたいと願っています。あなたがひとりぼっちで背負う必要がないよう、イエスが共に背負ってくださいます。しかも、イエスの肩と背中にかかる荷重はほぼ99.9%ではないでしょうか。つまり、あなたの担う部分は全体の0.1%で、主の憐れみと恵みによって共に背負わせていただいてる、と言ったほうが正しいかもしれません。

主イエスと共に歩いた田んぼや畑を振り返ってみなさい。あなた一人では絶対に成し遂げることができなかったはずの、広大な土地が綺麗に耕かされて、多くの種類の実を豊かに結んでいるということです。「わたしの人生を通して、主がすべて成し遂げてくださった」と、主をほめたたえることでしょう。

主イエスから本当に学ぶ方法

自分だけの計画で、自分の思い通りに、自分の努力で頑張って、逆に独りで悩み苦しむことはもうやめにするのです。主イエスは、今すぐに、この瞬間にでもあなたのその重荷を担いたいと待っておられます。

鞭で打たれた背中と荊(イバラ)の冠を押し付けられた頭に乗せて、釘跡ついた両手で、あなたとくびきを一緒に背負ってくださいます。しかし、決してあなたを厳しくスパルタで強引に引っ張り回すことはしません。あなたのペースに合わせて、優しく、進むべき方向を導いてくださる主を通して、あなたは、イエスこそ主であると学び、魂に安らぎを得るのです。

「イエス様、あなたのくびきを今、背負います。あなたのように生きることを学ばせてください」。

いいなと思ったら応援しよう!