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ヨハネ福音書 6:60〜69

すると、シモン・ペテロが答えた。「主よ、私たちはだれのところに行けるでしょうか。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。私たちは、あなたが神の聖者であると信じ、また知っています。」
ヨハネの福音書 6章68~69節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

これはひどい話

これはひどい話だ。だれが聞いていられるだろうか」。そう小声で文句を言って、イエスに従って来ていたうちの多くの者がそこから離れ去りました(6・60〜61、66)。

このことが起こったのは、イエスに従うためには、「イエスの体を食べ、イエスの血を飲まなければならない」と彼らに言ったからでした。イエスは、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物なのです」(ヨハネ6・54〜55)と教えられたのです。

なんという幸い

そのイエスの言葉に、あなたは特に戸惑わないでしょう。私たちは日頃、教会で聖餐式を受けていますから、その言葉を理解して受けます。パンと杯をいただき飲み込むことは、「イエスが本当にわたしの罪の身代わりで死に、本当に十字架で血を流し、本当に復活したのだ」という二千年前の事実を、信仰で受け入れるということです。それを信じているあなたは、罪の赦しと永遠の命をすでに持っていると知っているではないですか。なんという幸な人でしょう。ハレルヤ。

しかし、当時の人々は「イエスの体がまことの食べ物で、イエスの血がまことの飲み物」だという教えを理解するのは難かったでしょう。聖霊も降る前ですから。

わたしたちも、当時の人たちと同じ立場だったら「いったい何のことだろう」と困惑したかもしれません。初代教会の信者たちが迫害を受ける時、「キリスト教徒らは人肉を食らい、生き血をすする」とまことしやかに噂されたのもうなずけます。

私にはイエスしかいないのだ

その大勢がイエスのもとから去って行った時、イエスは十二人の弟子たちにこう尋ねました。「あなたがたも離れて行きたいのですか」(60・67)。弟子たちの沈黙を破って、ペテロは答えました。「主よ、私たちは他のだれのところに行けるでしょうか」

あなたの今の気持ちも、ペテロと全く同じではないですか。「イエス以外の一体誰のところへ我は行けるのか。いや、私には、イエスしかいないのだ」と。

思い出しなさい。イエスと初めて出会ってその愛に触れられてから、この世の富や快楽などの私たちにとって「得(とく)」と思えたあらゆるものが、「損(そん)」と思うようになったではないですか(ピリピ3・7)。それはすべて、あきらめずにイエスにとどまったあなたへの恵みです。

また、イエスとの出会いを通して失ったものはすべて、「ちりあくた(ゴミ)」と思えるほどに心をとらわれているのではないですか。その心とらわれる理由は、イエス・キリストがあなたの理解をはるかに超えて素晴らしいお方だからです。この「人間の理解を超越している」ところが、イエスが全能の神である動かぬ証拠なのです。まさに、ペテロの告白どおり、イエスは永遠のいのちのことばを持っている「神の聖者」なのです。

イエスに関して理解できないことが多いから、それがイエスのもとを離れ去る理由にはならないと、ペテロは思いました。イエスから「わたしがしていることは、今は分からなくても、後で分かるようになります」(ヨハネ13・7)と約束された言葉を、ペテロは決して忘れませんでした。

そうです、イエスにとどまり、尋ね求め、御言葉に聞き、思い巡らし、従い続けているならば、しだいに必ず分かるようになってきます。何よりも、今はすべてを理解できなくても、信頼してイエスに従うプロセスを通して、体験的に悟るようになります。あなたの信仰の成長に応じて、真理が段階的に開かれていくことを、神は良しとされているのです。

理解不能なときは

理解できないことが起こった時、イエスから離れてはいけません。逆に、もっとイエスに近づきなさい。忍耐強く、イエスにとどまるならば、イエスもあなたにとどまります。時には、十年、二十年、三十年かかってから「なるほど!主よ、そう言うことだったのですね」と分かり、最後には「イエスは素晴らしい」ほめたたえることでしょう。

「イエスのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています」(コロサイ2・9)。あなたはイエスの愛をどれぐらい理解し、体験していますか。あなたなりに理解している「主イエスの愛はこれぐらい」があるかもしれませんが、イエスの愛の深さ、高さ、広さは、まだまだそんなものではありません。

あなたの人生で体験してきたイエスの愛は、全体のほんの0.1パーセントにも満たないかもしれません。そのイエスの愛をすべて受け取るためには、イエスにとどまる以外に、他にいく場所はどこにもないのです。

「イエスさま、もっとあなたのことを深く知りたいのです。あなたの内にとどまらせてください」。

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