マルコ福音書 2:13〜17 「イエスを思い巡らすと何が起こるのか」 #収税人マタイの召命
まず、タイトルの聖書箇所を祈りながら読みましょう。
それから、下のコラムを読みましょう。
最後に、ここから発見したことや教えられたことを感謝して祈りましょう。
神以外の権威に従う人
「わたしについて来なさい」。道を通りかかったイエスは、取税所に座っていたマタイを見て、たった一言だけそう声をかけて弟子に招きました。驚いたことにマタイは「どこに連れて行かれるのか」「行って何をするのか」、などの詳しい説明を聞いてなくとも、すぐに立ち上がってイエスに従いました。
マタイは収税人であり、ユダヤ地方を支配するローマに雇われて同胞のユダヤ人から高額の税金を徴収していました。彼らは不正に多く取り立てたお金を自分たちのふところに入れ、裕福な生活を送っていました。重税に苦しむ民は、収税人を「罪人」と呼んで憎んでいました。
レビという本名から分かるように、彼はもともとレビ族の出身で神殿の奉仕をするはずなのに、どういうことか収税人になっていたのです。神の権威に従わず、一国家の権威に従い、富と快適な生活を追い求めていたのです。
イエスとの出会い
その時、カペナウム一帯では「メシアが現れた」と、イエスの話題で沸き立っていました。収税所にいたマタイの耳にもイエスの噂があれこれ聞こえてきました。「貧しい人たちへの施し」「盲目や、口がきけないものの癒し」「悪霊の追い出し」「収税人や罪人たちとの食事」「御国の福音」などなど、イエスの驚きの情報に心を躍らせたことでしょう。
マタイはお金さえあれば、何でも手に入り幸せになれる、と信じていましたが、心が満たされず空しさに苦しんでいました。また、家族やコミュニティーからも嫌われ、虚しさと孤独の中にいました。イエスの噂を聞いた彼は、このお方に会えば何かが変わるのではないか、と考えるようになったのです。
マタイはイエスのことを思い巡らしていました。するとその彼の前に突然、イエスが現れました。そして「わたしについて来なさい」と彼を招き、マタイはイエスに従いました。
取税所には、彼の仕事道具や集金したお金もあったかもしれません。ローマから任せられた持ち場を守る責任もあったでしょう。しかし、彼はそれらをすべてを置いてイエスの後に従ったのです。イエスを信じて従う、とはそういうことです。今日、あなたの手元にある何が、イエスに従うことを妨害しているでしょうか。イエスさえいてくだされば、私たちは他に何も必要なくなるのです。
イエスとの重要な接点
イエスに従ったマタイの心に、大きな変化が起こりました。彼は、食事会を開催して、他の収税人仲間や軽蔑されている罪人たち大勢を招待し、イエスや弟子たちと一緒に食事で大いにもてなしたのです。これは、イエスの恵みがマタイを通して溢れたと言って良いでしょう。
パリサイ派の律法学者たちは、収税人や罪人と食事をしているイエスを批判しました。しかし、イエスは彼らに言いました。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです」。
収税所で不正を行っていたマタイは自分が罪人であることをよく知っていました。イエスはすべての人の罪を背負って十字架で命を捧げ、信じる者へ罪の赦しを与えるお方です。もし「自分には罪がない」と言ってしまえば、その人はイエスの何の関係もない人になってしまいます。つまり、「罪の自覚」がイエスとつながるための重要な接点なのです。罪を自覚がマタイをイエスに引き寄せました。
あなたを変える力はどこから
イエスとの出会いを通して、マタイは「自分のために集める人」から、「隣人のために与える人」へと生まれ変わりました。犠牲を払って命を与えることで愛を表したイエスのように、彼も犠牲を払って愛を表すように変えられたのです。イエスから多く受けた人は、多く与える人になるのです。
あなたは隣人のために、どれほどの自分の思い、時間、エネルギーを与えていますか。少ししか与えられていない、とがっかりしないでください。もし、あなたが少ししか与えられていないならば、それは少ししかイエスから受け取れていないことを示しています。ですから、もっとイエスから豊かに受け取れば良いのです。
今日、イエスに激しい渇きをもって求めなさい。イエスだけを思い巡らすのです。イエスはあなたが満たされても注ぎ続けるお方です。イエスの愛で満たされた時に、あなたからあふれ流れるものを分け与えるだけで十分なのです。イエス無しであなた自身から出るものは一つもありません。すべてはイエスの恵みによるのです。
「イエス様、今日、あなただけを思い巡らします。そして、わたしに現れ、満たしてください。受ける人から与える人へと変えてください」。