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マタイ福音書 22:1〜14

王はその人に言った。『友よ。どうして婚礼の礼服を着ないで、ここに入って来たのか。』しかし、彼は黙っていた。
マタイの福音書 22章12節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

相応しくな格好で

「友よ。どうして婚礼の礼服を着ないで、ここに入って来たのか」。王は披露宴の客の一人にそう言いました。その王は、自分の息子の結婚式をお祝いするため、盛大な披露宴を催しました。すると、一人の招待客が礼服を着ないで、王子の婚礼に相応しくない格好で入ってきたのです。

これは、天の御国を教えるために、イエスが話した「たとえ話」です。当時、もし王が祝宴を開く場合、参加者の礼服は、王が自ら準備するのが慣わしでした。宮殿の入り口にはフィッティングルームと豪華な礼服が備えられていたにもかかわらず、その客はわざと着ないで入って来たのです。その王の落胆と怒りはどれほどのものだったでしょう。

「どうして礼服を着ないで、入って来たのか」。そう聞かれた客は黙っていました。「王様、うちには相応しい礼服を買うお金がないのです」、とか、「クリーニングに出してて、間に合わなかったんです」という弁解は一切できませんでした。せっかく王が準備した礼服を横目に「今どきダサいな。俺には俺流のスタイルで行かせてもらうよ」と心で思ったのかもしれません。

すると王は召し使いに命令しました。「この男の手足を縛って、外の暗闇に放り出せ。この男はそこで泣いて歯ぎしりすることになる」(22・12〜14)。心が広い王も、さすがに堪忍袋の緒が切れました。

あなたは、身につけていますか

あなたは今、天の父が準備された礼服を身につけていますか。「主イエス・キリストを着なさい」(ローマ13・14)。あなたが着るべき礼服とは、天の父があなたのために準備した、イエス・キリストという真っ白な衣です。この衣をあなたに着せるために、大切な独り子イエスの血が犠牲が支払われました。

聖い神の御前に、罪人は出て行くことはできません。御前に出ると、罪人は打たれて死んでしまいます。それぐらいに、神は聖いお方です。しかし、今や、主イエスの十字架の血潮によって、私たちの罪は贖われました。イエスをキリストと信じる者は誰でも、その引き裂かれた肉体の間を通り、血潮を浴びながら、清められつつ、聖所の父なる神の御前へ進み出ることができるようにされたのです。

あなたは、礼拝する時、祈る時、聖書を開いて御言葉をいただく時、聖徒と交わるとき、礼服を着ているでしょうか。神との関係が回復されて親しい交わりに入るために、犠牲となったイエス・キリストの衣を着るのを決して忘れてはなりません。イエス・キリストを着ないですることはすべて、人間による人間のための宗教活動になってしまいます。

礼服を身につける、とは

今、地上ではイエスの名前が語られるところではどこでも神の御国は拡大中です。御国が「完成」するのは、イエスが再臨された時ですが、この地上であなたが行くところの家庭、学校、職場のどこであっても、神の国は着実に広がり続けています。つまり、主イエスに導かれているあなたは、どこにいても父なる神に招かれた招待客なのです。ですから、あなたはどこに行くにしても、イエス・キリストの衣を必ず身につけていなくてはなりません。

具体的に、キリストを身につけるとはどういうことですか。聖書はこう教えます。「あなたがたは神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着なさい。互いに忍耐し合い、(…)互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい」(コロ3・12〜13)。

ですから、ハンガーにかけて、クローゼットの奥にしまったままではいけません。もし着ていなければ、天の父はあなたにこう尋ねるでしょう。「友よ、どうして礼服を着ないで、ここに入ってきたのですか。あなたのために血の犠牲をもって用意したイエス・キリストをなぜ着ていないのですか」。あなたはそう聞かれたら、どう答えますか。おそらく、答えに窮して、あの招待客と同じように黙ってしまうのではないでしょうか。

さあ、あなたの古い人を脱ぎ捨てて、新しい人イエス・キリストを着なさい。「神のみこころは、あなたがたが聖なる者となることです」(第一テサ4・3)。ですから、「キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい」(コロ3・16)。また、「ことばであれ行いであれ、何かをするときには、主イエスによって父なる神に感謝し、すべてを主イエスの名において行いなさい」(コロサイ3・17)。それらを実行するための聖霊の火種は、すでにあなたに与えられています。

今、父が備えた輝く衣を身にまとうのです。あなたの家庭、学校、職場のどこにいても、御国の祝宴を盛大に祝うのです。そうするならば、あなたは単に「招待された人」で終わらず、「選ばれた人」とされていきます。「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ないのです」(マタ22・14)。

「イエス様、かた時も離さず、あなたを着るため、古い人を脱ぎます」。

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