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価値観のはなし

地元の友人に大学入学以降に会うと価値観の違いを痛感することが増えた。
中学、高校の時は遊ぶ範囲や遊ぶ友達、進学という大きな夢、様々な共通点があった。しかし進学で住む場所や遊ぶ友達、目指す界隈が変わってくると共通点は限りなく少なくなる。あの頃は同じクラス同じ学校という縛りがあったから仲良かっただけで、根本的な部分はこんなにも違うのかと少し悲しくなる。特に友人や彼氏の治安が悪くなってしまったり、酒やタバコ、ギャンブルに溺れたりする友人には「こんな人になりたかったのか」という小さな絶望と、「このままで大丈夫なのかしら」というお節介心が出てきてしまう。

私もお酒はほどほどに飲むし、まわりにタバコを吸う友人も多い。地元の子たちからは「あいつ都会に染まったな」とか「遊んでるだろ」とか思われているかもしれないな。それでも、私はまわりの影響で染まりすぎるのはダサいと思うし、自分の芯がなかったり、貫けなかったりするのは弱いと思う。だから私は体調を崩してでもお酒を飲みたいとは思はないし、タバコも吸わない。頭が硬いなと思われてしまうかもだけど、鋭くて何よりも硬い芯は心に常備しておきたい。
過去の行動に後悔してしまったときに他人のせいにはしたくない。

「生み出す」ことを学んでいる美大生たちはこの芯が強い人が多い。どこかに絶対嫌のラインがある。
私はそんな人に憧れているのだろう。
絶対嫌を突き通すことができるひと。
都会に染まらないひと。
なにかに没頭して頑張れるひと。
賢いひと。
そんな憧れがあるからなのか、仲良かった友人のよく言えば大人な変化を私は受け入れることができない。
いつまでもteenagerなわけないのだから成長とともに変化する価値観を認めなくては、、
価値観違うから友達やめますなんて寂しすぎる。
これからも友達でいたいから価値観を拒否する前に、興味をもっておもしろいポイントを見つけてみようか。

私は「なんか変わったね、すてきな大人になった」って言われたいから成長することにしよう。

価値観のはなし

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