この度noteデビューを果たしてみました。 🌸メンタルセラピーファーマシスト®︎🌸の かおりです。 私のモットーは 🍀よりラクに楽しく幸せに生きる🍀 です。 メンタルセラピーに関わることを発信する場として、 以前よりnoteデビューを考えていました。 が もともと活字苦手なので、なかなか踏み出す事ができずにいました。 では、なぜ今日踏み出す事ができたのか❓ それは今日が6月8日だったから💐 20年以上前、夢に出てきた数字 ずーっと気になっていた数字
noteをはじめてちょうど一年となりました✨ 1年で記事投稿14件 私にとっては、上出来です😆 毎日のように、投稿されている方からしたら 笑われるような内容と投稿数ですが、 これが私なので、いいんです!🥰 当初の予定と違って、私自身の過去のお話みたいになってきちゃってるけど、それはそれでいいかな、なんて。 もともと、自分自身の気持ちを整理するためによく日記を書いていました。 でも、大学生の時父親に読まれてしまったんです。 読んだ父親が悪いはずなのに、 傷口に塩を塗るの
本来であれば、手術前日に入院なんだと思う。 手術予定日は11月4日、前日が祝日ということで11月2日が入院日だった。 めちゃくちゃ元気な状態で、入院生活って本当に暇だったな。 11月3日、呼び出されて処置室へ 初めて会う先生の前で、婦人科の診察台に登らされた私。 開脚状態の私に 「明日、切るところに印つけておくね」 と先生。 「はい」と答えた私。 次の瞬間 叫びたくなる程の痛みが走った! (印付けるって・・・電メスか何か?) 怖すぎて、私に起こった事実は今でも知らな
軽い気持ちで初めて受けた子宮頸がん検診 31歳のお誕生日にやってきたお手紙 送られてきた診断結果に書いてあったのは 『高度異形成Ⅲb』 まさかの結果に動揺した。 今のようにインターネットでいろんな情報に出会える時代でもなく、ネットで調べると子宮頸がんについては偏見が多かったのを覚えている。 20代の初めにDVを経験した私は、20代後半自分自身を大切にしない生活が続いていた。 🌸よりラクに楽しく幸せに生きる🌸 をモットーに生きていこうって思っていながらも、日常の生活は心
20代の頃の私は、変わりたい❗️と言いながら 頑固ちゃんだった。 カウンセリングを学び、過去を癒し(本当に癒されたわけではなかったけどね😅)、もっと自分を好きになりたい❗️変わりたい❗️とずっと思っていた。 でも、人や環境のせいにしてなかなか変わろうとしていなかったのだ。 そんな頃、薬剤師なんて辞めてしまえ❗️と思うほど、いやな出来事があり、丸5年勤めた病院を解雇同然に退職。もっとカウンセリングの技術を深めたい、できればカウンセラーとして生きていきたいなぁという気持ちが
コロナ禍突入して1年は過ぎたよね。 家族以外、勤務先の病院内以外の人たちに バイキン扱いされてる気がしてたし、 家族以外、勤務先の病院内以外の人たちを バイキン扱いしている気がしてた。 そんな気持ちになるたびに 私はこんなにも嫌な人間だったのか❓ って考えちゃう時もあった。 でもね、気づいたんだ。 きっとそれが素直な気持ちなんだ、って。 だから、無理に否定せず そんな私も居る、 って受け入れることを続けてきた1年だった気がする。 固定観念に縛られたり、 思考の癖
私の通っていた公立高校は、鹿児島では結構優秀な進学校。毎年、国立大学に何人合格と数字を高く掲げたい先生が多い、当時はそんな学校だった。 高校3年時の担任ももれなくそういう感じの先生だった。 国立大学の薬学部への進学には成績が少し足りないとわかると、個人面談で「数学の先生はどう?お茶の水とかいいんじゃない?」という。 私は「薬剤師になりたいから、前期日程は薬学部を受けたいんです。後期は学校の先生で良いけど、先生になるなら数学の先生じゃなくて、体育の先生しか考えていません」 と
少し昔の話をしたいと思います。 私の両親は公立高校の保健体育の教諭。 だからか私は 「〇〇先生の娘さんだから、さすがしっかりしているわね」 としょっちゅう言われていた。 世間がそういうからか、親が厳しかったからか私は確かに「しっかりしている子」だった。 間違いは許されない、 手抜きも許されない、 世間や親の価値観の中で 当たり前とされていることから少しでも踏み外すようなことは絶対に許されない、そんな中で生きていた。 だからこそ、私自身も周りの人に同様のことを求めた。で
カウンセリングを学んで、でも他人にカウンセリングされるのは嫌、だからセルフカウンセリングの日々。 変わりたいのに、周りの人や環境が邪魔をする。 と 今思うとカウンセリングを学ぶ前とたいして変わらない考え方で生活をしていた私。 そんな生活を続けていたとき、いつも私を支えてくれていた人に言われた。 「結局のところかおりちゃんはどうなりたいの? どうしたいの?」と。 今この瞬間よりもラクに 今よりもっと楽しく これまでよりも幸せに生きたい❗️ 多分こんな事を言ったんだと思う。
カウンセリングを学び始めたら、結局自分自身にたくさん問題があったことに気づかされた。 ○人を評価しがち ○不平不満の多い毎日 ○何かに依存しがち ○人生のどん底からスッキリ抜け出していない ○自分自身に自信がない などなど 今となっては思い出せないくらい、私はものすごく嫌な人間だったと思う。 20代の頃、たくさんの時間とお金をかけて学んだカウンセリング技法は、私にとっては良い出会いだったのかもしれないと今では思う。というのも、「ものすごく嫌な人間」となるにいたった原因を
大学を卒業後、地方の大きな病院へ就職した。 いざ、現場へ行くと患者さんの服用しているお薬の種類にびっくりした。 外来だけで1日に200枚以上、全て院内処方ね。それにプラス入院患者さんの処方箋もあり、ありとあらゆるお薬を触ったし、いろんな診療科の処方箋を触ることができた。今思うと、あれだけの種類のお薬を扱う薬局で働いたのは1番最初に就職した病院だけだったな。 そんな忙しい中、目の前の仕事をこなすのに精一杯で、相互作用がどうだとか、一人一人の患者さんに本当に必要なお薬なのかと
母に教えてもらった「薬剤師」という職業。 成長するにつれて、薬剤師になりたいという気持ちはどんどん大きくなっていった。 「どうして薬剤師になりたいの?」と質問される機会もちょっとずつ増えていった。 「おばあちゃんが、いっぱいお薬を飲んでいるの。だから、本当に必要な薬だけ飲んだらいいようにアドバイスできるようになりたいんだ」 私はなぜかこのように答えるようになっていた。 祖母は糖尿病があったようで、いつもたくさんのお薬を飲んでいた。 祖母は私がまだ薬学部生だった時に他
私が薬剤師の存在を知ったのは、小学生の低学年の頃。 小さい頃っていろんな場面で 「大きくなったら何になるの?」って良く聞かれますよね。私は「学校の先生」って言っていました。 なぜなら、両親がそうだったから。 小さい頃なんて、選択肢が少ないですよね〜。 低学年の頃から、国語よりも算数大好きだった私でした。ある日母が「かおりは算数大好きだから薬剤師さんになったらいいんじゃない?」というようなことを言ってきた。 多分その時初めて、薬剤師という職業があることを知ったんだと思う。
【メンタルセラピー】とは 薬に頼らず元気にする宮島賢也精神科医が考案した新しいカウンセリングの方法です。 この方法を学んだ【薬剤師】ということで私は メンタルセラピーファーマシストと命名しました。 薬の知識を持ってカウンセリングを行うので、クライアントさんの減薬や断薬にも寄り添うことができます。 また、これから心療内科に行くかどうか悩んでいたり、既に通院中のクライアントさんにもお薬との付き合い方について一緒に考えていくことができます。 メンタルセラピーでは、クライアントさ
noteはじめたものの、いざ投稿するとなると二の足を踏んでいる メンタルセラピーファーマシストのかおりです。 日頃はスマホ操作メインですが、今日はパソコンでログインしてみました。 ところで 九星気学、興味ある方いらっしゃるかしら? 私は九紫火星です。