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写真とは芸術それとも記録
【文字数:約1,000文字】
※ 読んでもつまらないと思います。
前回の記事で神奈川県立の近代美術館に行ったことを書いた。
2つある催しのうち、企画展「挑発関係=中平卓馬×森山大道」は写真の展示で面白いとは言いにくいけれど、写真とは何か、という疑問のヒントを得られた。
雑誌に掲載された古い記事の中で、森山は次のように語っている。
(中略)
よく写真は芸術か記録かという質問を受けるけれど、もちろん写真が芸術である必要は毛頭ないと思っている。しかしまた写真は記録であるといったところでそれは自明の理であるけれど、そんなこと言ってもはじまらない。
ぼくは写真は記録を超えた何か漠然としたものだと思う。そんな風に考え続け、それをいつか自分で作品を通して確認してみたいと思っていた。
(後略)
私が館内に入ったとき、どう見ても数十万しそうなプロ仕様カメラを持つ若者たちがいて、たぶん写真学科とかの学生だったのかもしれない。
彼らは星の数ほど写真が氾濫する現代において、「価値ある写真」を撮ろうと努力している。
職業としての写真家は存在しているけれど、そうした人たちが生み出すのは芸術であり、同時に記録でもあると思う。
私のような一般人がスマートフォンのカメラで撮るものは、日々の記録としての側面が強いと思いつつ、芸術への指向を諦めているかといえば、そんなことはない。
両者は重なりあっているし、撮影する者が意図して左右する場合もあれば、無意識に決定されるときもあるのが写真の面白いところだ。
そういう私は写真家になりたいわけではなく、心が動いた瞬間を残したいとカメラを向ける。
でもそれは紙を用いたメモに近い「記録」であり、「芸術」として喧伝したくて写真を撮ることは稀だ。
とはいえ、撮りたいと私が意図した時点で、それは芸術としての背景を持つのが不可避であり、良い写真だと褒められれば嬉しいに決まっている。
私は展示された写真に対して、価値を見出せるものが多くなかった。
それは絵画などと異なり、生み出されたものが現実の一瞬そのものであるためだと思う。
輪郭線を欠く抽象的な絵画には解釈もまた無数にあるだろうけれど、切り取られた現実には想像の余地が少ない。
もちろん作為ある撮り方や、編集などの手法を用いることで芸術としての側面は強まるけれど、それはもう純粋な写真とは呼べない。
対象にカメラを向け、シャッターを切る度に考える。
いったい私は何を撮っているのだろう、と。
※ ヘッダー画像は『provoke』の第3号より
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