心中はフクザツな信州ツーリング 2/3
【文字数:約1,600文字】
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諏訪湖の近くにある北澤美術館にて、目当ての「ひとよ茸ランプ」を鑑賞したりんどん。
次なる目的地も美術館ではあるものの、その外観は教会のようでもあり……?
戦没画学生慰霊美術館「無言館」。
場所としては諏訪湖のある諏訪市から山を越えた、長野県上田市に位置している。
田んぼの広がる平野部から山側に入った、とても静かな場所に造られた美術館は名前の通り、先の大戦で亡くなった芸術系大学などの学生たちが描いた絵を中心に展示している。
内部も十字の形で照明が少ないため、時間の経過により天窓からの光が床に落ちるのも味わい深い。
展示品の撮影は禁止なため、印象に残ったものを書き記す。
とはいえ、すべて著名な作者ではなく「これから」という段階であったため、どちらかといえば作品に添えられた物語を読むのがメインかもしれない。
とある作者は友人と2人で入学し、絵を学び、そして戦地へ行った。
彼らのどちらかが生き残るでもなく、時期をずらして亡くなった彼らは、最後に友人のことを考えていたのだろうか。
とある作者は妻からもらった葉書をノートに貼りつけ、それを妻に送ってきた。
病気で臥せる妻がそれを受け取り、夫の死を予見しながら亡くなった。
たぶん夫は帰れないことを分かった上で、戦地からノートを送ったのかもしれない。
とある作者は戦死を免れ帰還したものの、病によって終戦後に亡くなった。
彼の描いた絵は病床から見える、緑の田園風景だった。
とある作者は戦闘機乗りとなって、本土空襲の際に厚木の上空で撃墜されたという。
戦うために進化した航空機が、「空を飛びたい」と願う人類の夢から始まったのは笑えない皮肉だ。
とある作者は戦地へ行くより前、連隊での訓練中に亡くなった。
機関銃の暴発で亡くなった彼が、本来なら絵筆を持っていたのだから、どうにもやりきれない気分になる。
とある作者の父は日本画の大家であり、これからの将来を嘱望されていた。
戦後に亡くなった息子について父が語ったのは、自らも死に瀕した晩年のことだったらしい。
とある作者は入隊前の一晩で、自らの顔を模した首像を作り上げた。
丁寧とはいえず仕上げも荒いけれど、そうしなければと思った動機は理解できる。
すぐに思い出せるのは、だいたいこのあたりだろうか。
画学生らしく、家族に宛てた手紙で似顔絵を描いていたり、戦地に絵の具を送るよう頼んだり、過酷な状況でも彼らは描くことを止めなかった。
しかし、戦闘中ではなく病気による死亡も多かったし、乗っていた輸送船が撃沈されたものについては、おそらく避けられる死だった。
オリーブの読書館がある裏手には、とあるオブジェが置かれている。
先の大戦の終わりから来年で80年が経つ。
コロナ禍の間に父母とも祖父母は亡くなり、戦前および戦中を知る人はいなくなった。
そして今現在、欧州や中東では争いが起こっている。
墓誌に記された300年前の人もふくめ、この時代を予想できた人はいたのだろうか。
それはともかく、300年前とされる墓誌に信憑性があるのかいつも疑問だ。先祖が○○左衛門とかホントかなぁ……。
ジメジメした気持ちを払うなら山を走ろう!
ということで、諏訪市と上田市にまたがる美ヶ原へGO!
これにて「心中はフクザツな信州ツーリング」の第2回を締めとする。
無言館は前から行ってみたかったものの、冬場は雪に閉ざされるので先延ばしになっており、今回は満を持しての観覧と相成った。
ちなみに、オリーヴの読書館では戦争にまつわる書籍を読むことができるので、まるまる1日滞在することも可能だったりする。