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あの年みたく箱根駅伝に涙する

【文字数:約1,600文字】

 昨日、今日とで第100回の箱根駅伝が開催された。

 たぶん箱根駅伝については過去にも書いていると思ったら当たっており、あらためて年始の習慣になっているようだ。

 2024年の始まりでは石川県の地震が、翌日には羽田空港で航空機が炎上する事故があり、どうしたって暗い気持ちになっていく。

 けれども箱根駅伝の復路を観ていると少しずつ気分が晴れ、日没前に近所を歩いてみると日常は続いており、そのことに安堵している自分がいた。


 私は箱根駅伝というかスポーツ全般がさほど好きではなかった。

 しかしある年の暮れに入院し、談話室のテレビに映っていた箱根駅伝を観て、生きるのは苦しいけれど楽しくもあると、1人感動に打ち震えていた記憶がある。

 入院の経緯については省くけれど、医師からは「治療が手遅れなら死ぬ」と言われており、からくも生きられた結果、年末年始を病院で迎えることになった。

 かろうじて季節を感じさせるのは食事のみで、治療のための退屈で苦痛な時間を過ごしていたある日、だれもいない談話室で箱根駅伝を観る。

 朝の8時スタートで終わりが昼の1時くらいという長丁場ながら、気がつけば次の区間に移って風景も変わり、東京のビル街から湘南の海沿い、そして箱根へ至る過程は旅番組のようだった。

 おおよそ20km超を走破する選手たちは、運んできたタスキを次の選手に渡す頃には疲れ果て、中には人目もはばからずに倒れ込むときがある。

 入院する前は「わざわざそんなことをしてバカみたい」と思っていたし、年始に箱根駅伝を観る習慣もなかった。

 けれどあの年の冬、病院で観た選手たちの姿にまったく別の感情が湧いた。

 退院してすぐではないけれど、シューズとウェアさえあればできると考えてランニングを始めた。

 歩くよりもちょっと速いくらいのペースでも、長時間それを続けるのには体力が必要で、運動強度を上げようと速く走れば呼吸が続かない。

 だからせめて選手たちと同じように、決して足を止めないことを目標にした。

 すこしずつ体力がついて動きにムダがなくなっていくほど、200km超をリレーで走る駅伝の選手たちが、どれほど鍛えてあの場に立っているかを知る。


 第100回となった今回、私の好きな関東学連選抜の枠がない。

 通称「学連」と呼ばれ、1つの大学チームではなく複数の学校から選ばれた、言ってしまえば急造された混成チームだ。

 同じ学校から2人が選ばれた記憶はなく、10区すべてを元・ライバルの他大学でつなぐのは精神面からして難しく、練習や当日のサポート分担もまた同じだろう。

 出場したところで後ろから数えたほうが早く、応援団もバラけているので盛り上がりに欠け、良くも悪くも特別枠と呼ぶのが適切だった。

 そんな学連がある年、強豪校に食らいついて10位圏内に入った。

 翌年の参加において予選会をパスできるメリットはないし、タイムも参考記録にしかならない。

 ただ、あの場に立つことさえ難しい箱根駅伝において、所属の違う混成チームが活躍した事実は、だいたい暗い気持ちで生きている私を明るくした。

 もちろん第100回において、だれ1人欠けることなく走った選手たち全員が素晴らしい。

 これまでの成果が組み合わされ、往路での順位を復路においても保ち続け、最後まで安定したTOP3だったように思う。

 楽勝というわけでもないし体調が悪くなって失速、はたまた途中棄権がなかったのは喜ばしいけれど、番狂わせと呼ばれた学連のような活躍を観たいと願ってしまう。

 きっとそれは年の始まりにおいて、使い古された「希望」とやらを求めているのかもしれず、前年の暮れにすべてを忘れられない性格の証左なのだろう。

 立て続けに不幸な出来事のあった2024年の始まりが、快走する選手たちによって照らされたと信じたい。


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りんどん
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