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ふせん りょうせん いかんせん

【文字数:約1,700文字】

 #読書の秋2022の参加用レビューをすべりこみで投稿した。

 この企画は常に開催されている#読書感想文と同じように、自分の好きな作品でタグ付けすることもできるし、33作の推薦図書についても募集している。

 季節と関係なく感想文を書いている人間としては、推薦されているもので1作くらい投稿したくなるし、なんだったら選者の講評を聞いてみたい。

 とはいえ推薦作を読んで書く時間が限られており、興味のありそうな作品を選ぶのにも手間取って、結局は締め切り間際での投稿になった。

 やるからには自らのレビュアー能力を総動員するべく、ヘッダー画像のように付箋ふせん稜線りょうせんのように貼りながら読み進め、続いて紙に作品の要点を書きだして文面を考えた。

 読みながら付箋を貼るのはライターの武田砂鉄さんなど、読み書きを生業にしている方なら普通にやっているらしく、武田さんはセリアの100円付箋がお気に入りだと前に話していた。

 方法をマネしても本業のライターさんに及ばないとは理解しつつ、自分の思い描いたレビューを書くためなら、苦労や浪費だとは思わない。

 ◇

 読書感想文、つまりレビューの種類は大きく3つだと思っていて、

  1. 作品の内容と感想をミックスした五穀米タイプ

  2. 作品の内容には一切ふれない無洗米タイプ

  3. 作品の内容ばかりで要約な玄米タイプ

 個人的な偏見にもとづくと、以上の3つが存在するのではないだろうか。もちろん各タイプの線引きは難しく、作品によって合う合わないも変わってくる。

 もっとも多いのは適度に作品の内容に触れつつ、上手い具合に感想をはさむ五穀米だ。しかし内容に触れすぎてネタバレになったり、反対に触れなさすぎて無洗米になったりもするからバランスが難しい。

 自戒をこめて気をつけたいのは、手早く内容が知りたい人向けのまとめ玄米になってしまうことで、書き手が何を感じたのかが見えず、記憶に残らない可能性が出てくる。

 ただし玄米でも磨けば光るように、構成を工夫するなどして強く印象に残せたりもするから、作品によってレビューの書き方を変えられるのが理想だと思っている。

 今回に関しては一般的な1の五穀米を目指したけれど、書き出す前は自分のエピソードが多く、作品の内容がオマケになってしまうと考えて、結果的に現在の形に落ち着いた。

 作品の内容や単語を使いすぎるとネタバレに近づき、かといって別の言葉への置き換えをやりすぎれば捏造になってしまう。いわばレビューの闇米だろうか。

 良いレビューにしようと工夫しすぎて、未読だと意味が分からない籾米もみごめになったりもするから、常に自分を客観視することが欠かせない。

 後半ではポケベルなどに触れるか迷ったけれど、固有名詞は何を表すのかが分からないと雑味になるので、刊行からの歳月を埋める意味で必要だと判断した。

 それでも読んだ時期や分量によって書き方は変わるだろうし、評価を気にしないなら二次創作も立派なレビューだと思う。先のタイプに分類するなら、別の作品として洗う必要がないので無洗米だろうか。

 投稿サイトで活動していたとき、気まぐれで二次創作レビューを書いてみたら、作者の方から強く熱い感謝をされた。

 私にとってはコメントで足りないからレビューの形にしたのだけど、そもそも読むだけの人が多くて感触が分からず、コメントする価値もないのだと自罰的に考えた結果、書くのを辞めてしまう人がいる。

 noteでは見出しからスキだけを付けることが可能だし、それっぽい人を把握してもいる。時間と忍耐には限りがあるので仕方ない面があるにせよ、自分の行動がどう見えているか気づいているのだろうか。

 そういう私も時間と眠気と好き嫌いによって似たようなことをするから、お互い様なのだろうと自己弁護しておく。

 ただ、心を動かされたものに対して言葉を用いない堕落を認めたら、もはや物書きの端くれですらいられなくなる。

 だからレビューは私にとって、岸壁にかけた指先と似たようなものなのだろう。

 この記事を書くに当たって読み返したところ、気になる部分を見つけて直すことができた。これだからレビューは怖くて面白い。


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りんどん
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