いつか星の行く先に集う人々
【文字数:約1,000文字】
※ 愚痴です。
俳優や司会などで活躍していた渡辺 徹さんが先日、61歳で逝去された。
少し前のラジオにて、子供向け番組の司会を務めた際の話が記憶に新しく、ニュースを知ったときは驚いたし、61という年齢、亡くなるまでの経緯を知って、なんとも言えない気持ちになった。
もう忘れてしまった人も多いような気がするけれど、CMにダチョウ倶楽部の2人が出演しており、その際に覚えた違和感の理由を考えてすぐ、上島 竜兵さんの姿がないからだと思い至った。
偶然にも2人は61歳という同じ年齢で、理由はともかく平均寿命からすれば、ずいぶんと早く鬼籍に入ってしまった。
すぐに思いつく方では不可解な最後を遂げた、神田 沙也加さんの存在が大きい。
三浦 春馬さんも続く感染症がなければ、今も活躍していたように思うのは、おそらく多くの人が同意してくださるのではないだろうか。
とかく人の死は予測できないもので、紫の着物が目印な三遊亭 楽太郎こと6代目 円楽師匠は、脳梗塞により噺家の命とも言える喋りがあやしくなりながらも復帰し、その翌月に亡くなった。
そうして報道されるのはまだよくて、いきなりの卒業や引退などにより表舞台から消えてしまう方もいて、感情の行き場を失くした「○○ロス」なる状態に陥るのも、おぼろげながら理解できる。
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ずいぶんと前の話になるけれど、曲を好いていた歌手の訃報を知った翌日、職場の行き帰りだけ黒いネクタイを締めていた。それを見た同僚からは、どうせ外すのだから意味がないと嗤われたけれど、私としては意味のある行為だった。
あるときには別の人に、「あなたの悲しむ理由が分からない」などと首を傾げられた。うろ覚えながら、もしも○○が起きたら、みたいな話の流れだった気がする。
自分とは関係のない人がいくら死んだところで、たしかに何の影響もないし、変わらず明日はやってくるだろう。
しかし私にとって死は身近にあるもので、バイクや自転車に乗っていれば特にそう感じざるをえない。
ツーリングに出れば事故の起きた道を通り、ニュースを開けば閲覧履歴からのサジェスト機能によるものか、事故関連の記事が出てきやすい。
私にとって交通事故は忌むべきものだし、それなりに生きていれば親しい人を亡くしたり、あわや危機一髪というのにも遭遇している。
独断と偏見にみちた考えであると認めつつ、他者の死を口先だけでも悼むことができない人は、きっとこれまで憂いのない晴天のような人生を送ってきた、とても幸運な人なのだろう。