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声にすること 詠んでみること
【文字数:約1,200文字】
職業「詩人」の方が出演するラジオ番組を聴き直した。
その詩人は文月悠光という名で、16歳で現代詩手帖賞、18歳で中原中也賞、丸山豊記念現代詩賞をそれぞれ最年少で受賞した、おそらく天才と呼んでも差しつかえない人物らしい。
らしい、というのは知らなかったからで、将棋における藤井総太さんのようなものかと理解した。
番組では来歴や詩集についての話をした後に、自作の朗読をしたのが印象深く、「100分de名著」にて金子みすゞの特集をした回を思い出した。
「100分de名著」においても詩が朗読され、人間の声が文字を立体化させるように感じた。
先のラジオ番組で文月さんは、詩の朗読を楽譜の演奏に例えていた。また、朗読会で聴いて始めて詩が分かったような気がしたと、参加者から感想をもらったそうな。
そして感想を言語化するのは難しいけれど、どうにか言葉にしてくれたのが嬉しいと続く。
番組で朗読された詩が良いのか私には判断がつかない。ただ、頭の中で情景を描きやすい点は短編小説のように思えた。
◇
私は詩というものについて、まっとうな勉強をしたことがない。
言語としての日本語を解するからには、書いていれば上手くなるだろうと甘く見る、つまり勉強を蔑ろにする空け者だ。
それでも「#詩」のタグでnoteを探せば様々な形態があるし、自分に合う合わないはもちろん、1文の長さも人それぞれらしい。
音の流れがキレイなものは情景が浮かびやすいだけでなく、発音することにより耳で楽しむことができる。
声にする点では、 5・7・5・7・7 の31音で表現する短歌でも重要に思える。
少し前に『古今和歌集』の選者の1人、紀貫之を特集した番組を観て、同じ作者による『土佐日記』の趣向について知った。
作中において様々な人が歌を詠んでおり、だれでも歌が詠めると思わせることで、和歌、現在の短歌を広めたかったのではと言われている。
まさしく私は紀貫之の願ったとおり、なんか自分でも詠めそう、という生意気な心根から作り始めた。
その延長線にあったのが詩であり、七五調および五七調と呼ばれる詩の形式は、短歌や俳句などとも無関係ではないだろう。
◇
とりあえず音数を合わせて作ってみても、そのうち限界が見えてくる。
何かが足りない、いまいち表現が平坦などの「観る目」が養われ、それで名作と呼ばれるものを解読すると、なんじゃこりゃあ! と松田優作になってしまう。
さすれば紀貫之が目論んだ通り、太陽にほえる詩人および、沼へと沈む歌人の完成だ。
先の番組に出演した文月悠光さんも、きっと簡単なものから始めて受賞に到ったのだろうし、すべての創作者の第一作は拙いと言われる。
自分の目指す到達点は分からないけれど、表現することに前向きな勇気をもらったような気がしたのだった。
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