おまえスマホの画面、バッキバキやぞ?
【文字数:約1,000文字】
タイトルそのまま、スマートフォンを落として画面に蜘蛛の巣ができた。
運悪くプロテクターで覆われていない側が下になり、今回ばかりは無事で済む奇跡も起こらなかった。
けれども意外なほど落胆の度合いが弱く、ついに起きたと納得している部分が大きい。
購入してすぐ貼った保護シールのおかげもあって、データの移行が問題なく行えたのも関係していると思う。
それにちょうど使用開始から3年目で、バッテリーの減りが早くなっていたこともあり、機種変更にはベストな時期と言えるかもしれない。
もちろんまだまだ使える状態だったし、手に馴染んだ端末を手放すのは寂しく、3台あった自転車を1台に集約したときのような心境だ。
どんなに愛着ある道具であっても普段使いをしている限り、いつか別れは訪れる。
季節は春。
出会いと別れの時期に起きたアクシデントは、むしろ大きな不幸を回避できたと考えることにする。
とはいえ、スマートフォンがないと仕事にならない。
常に必要なわけでもないけれど、「持ってません」では立ち行かないのが現代社会の悲しいところだ。
そうした事態に備えて安めな端末を買ってあり、データ移行も済んだので明日もつつがなく過ごすことができる。
本音は役に立って良かったとさえ思っていたり。
アカウント連携やBluetoothの機能を使うなどして復旧させつつ、保存していた大量のメモを読み返す機会にもなった。
そのうちの1つに「真夜中以上に夜は更けない」という、ミャンマーの諺があった。
どんなに暗い夜でも限りがあるのだと、落ちこむ人を励ますのに用いるとかだった気がする。
他にも vanacular が「土着の」、「土地固有の」といった意味であるとか、なんで書いたのかがまるで思い出せないのがあったり。
とにかく気になった言葉はメモする習慣なもので、印刷して保存していたときのは用紙が傷み始めており、記録の難しさを進行形で体感している。
データであれば劣化しないし複製も簡単なのだけれど、だからこそ大量になりがちで探すのに苦労する。
ちょうど拝読していた連載小説が完結し、こちらは人間の記憶をテーマにしたSF作品だ。
各話に添えられたドット絵が懐かしくもあり、どこか記憶の生み出す不完全なモザイク画を連想させる。
この記事を書くことで数年後に今日を印象深く思い出すとしたら、もしかしたら端末を失ったのは意味のあることなのかもしれない。
先の作品を拝読していて、そんなことを考えたのだった。