その0.5次元には何がある?
『2.5次元の誘惑』 橋本悠 読了レビューです。
文字数:約1,600文字
ネタバレ:一部あり
(ヘッダー画像は既刊17巻のうち11~17巻)
・あらすじ
3次元には興味のない漫画研究部の部長、奥村 政宗は出会ってしまった。
大好きな作品のキャラクター、リリエルと、しかも3次元で。
もちろんそれはキャラの服装をする「コスプレ」なのだけど──?
・レビュー
そもそも「コスプレって?」という方に雑な説明をするなら、戦隊ヒーローやプリ〇ュアの描かれた服を着るなどの最終進化形で、作品のキャラそのものを具現化させる行為だ。
あらぬ方向から矢が飛んでくる可能性もあるけれど、宝塚で女性が男性役を、歌舞伎で男性が女性役を演じたりする延長線にあるというか。
コスチュームプレイ、略してコスプレにおいては、もともとマンガやアニメに登場する2次元のキャラを3次元にするため、いつの頃からか間を取った2.5次元と呼ばれるようになった。
本作ではそのコスプレを全力で楽しむ漫画研究部もとい、コスプレ部の活動を描いている。
登場人物が奥村の男性1人に対して、コスプレをする女性レイヤー部員が複数いる構図は、いわゆるハーレム状態と呼ばれるので嫌悪する人も多い。
ところが実際に読んでみると、連載初期こそ男性向けに寄せた描き方に思えたのが、部員数が増えるにつれて他の部員がメインになってくる。
同じコスプレを扱った作品として、福田晋一『その着せ替え人形は恋をする』があり、こちらは雛人形店の孫、五条 新菜が衣装を作るといった関わりがある。
本作の奥村にそうした技能はなく、コスプレのイベント中は部員たちのサポート兼カメラマンを務めており、演劇における黒子役というべきか。
ハーレム状態を起点にするなら春場ねぎ『五等分の花嫁』や、瀬尾公治『女神のカフェテラス』が思い浮かぶけれど、それらとの違いは奥村が重度の「オタク」である点だろう。
部員たちも一部を除いてオタクなので、実際の作品ネタでふざけたり新作ゲームに興じたりと、男女のあれこれは関係なくなってコメディ作品としての性格が強くなる。
そんな部活は居心地の良い空間だろうし、イベント中の黒子役も相まって、奥村が部員たちにとっての保護者のように見えてくる。
彼が3次元に興味がないのも仕方ない境遇だからであって、良い意味での人畜無害さがあるから部長を務められているのかもしれない。
私自身はコスプレをするほどの意欲と体幹がないけれど、ハロウィンにおける仮装みたいなのや服のリメイクに挑戦してみたことがあり、コスプレの「コ」の字くらいは理解しているつもりだ。
なりたいキャラの衣装を作り、それを着てキャラになりきるのは「ごっこ遊び」の究極であり、誰しもが1度くらいは「〇〇になりたい」と願ったに違いない。
いい大人が恥ずかしい、淫らで煽情的だとネガティブなイメージが強いし、実際のイベント会場を歩けば否定するのは難しいかもしれない。
ただ、現実の自分から離れて非日常に身を任せることで救われる人がいるし、女装男装はLGBTQ+とも水面下でつながっている。
男だから、女だから、という括りが無価値とはいわないけれど、そろそろ強制する時代を過去にしても良いと私は思っている。
本作はコスプレを主題にした作品ではあるが、創作そのものに対する言及も心に迫るものがある。
かつて奥村がファンレターを送った漫画家と出会う話は、物書きの端くれを自称する私にとっても無縁ではなく、届く声の冷たさと温かさの両方について考えさせられた。
コスプレの衣装を作る人の話も、際限なく時間とお金をかけられる趣味と、両者のバランスを取って商品にするプロとで対比され、原価率やら粗利について知る人間には非常に面白かった。
見た目にアレルギーを催す作品であることは承知で、「コスプレ」という演劇マンガとして、本作を読んでみてもよいのではと思う。
一部は公式サイト ↓ で読めます。
※ 「黒子」は「黒衣」が正式らしいです