見出し画像

フィリピン語(フィリピノ語) 篇

 你好

 今回は、僕が大学で勉強している言語および地域であるフィリピンについて、現地点での学びを書いていきたいと思います。あくまで、現時点なのでフィリピンについてはまだまだペーペーです。むずい質問はご勘弁。悪霊退散。南無南無。

 僕が、勉強しているのはフィリピノ語(フィリピン語)というものです。これは、フィリピンでは英語と共に公用語指定されている言語です。がしかし、実はフィリピノ語の大部分はタガログ語によって構成されています。ていうかほぼ同じです。

そういうわけで、フィリピンの言語って何と言われるとタガログ語という言葉が出てきたりするわけです。

 そう聞くとこう思う方もいるかもしれません。

「最初からタガログ語でよくね?」

 分かります。しかし、フィリピノ語という体裁をとっていることにはいくつかの理由があります。

 一つには、フィリピンというお国のできた背景が重要になってきます。フィリピンの歴史は占領の歴史です。スペイン、アメリカに植民地支配を受けてきたフィリピンは、東南アジアの中では珍しく有名な王朝といったものが全く存在していません。東南アジア諸国を見ても分かるとおり、王朝は自国文化の発信源とも言えます。どの時代も金持ちが文化を作るんですね。文化作りてえ〜。


抵抗運動で有名なフィリピンの英雄ラプラプ王

 1899年フィリピンはアメリカの支配を受けつつも形だけは独立に至ります。
 この時期は、他の多くの国も独立しましたが、他の国と明確に異なる点がフィリピンには一つありました。
 それこそが、フィリピン独自由来の文化の乏しさです。

 言語は英語を使い、宗教はアメリカ・スペイン由来のキリスト教信者が大多数、料理もその多くはスペイン由来のものでした。
 果たしてフィリピンとはなんなのか、フィリピン人とは、彼らのアイデンティティはなんなのか
 ナショナリズムが生まれると同時に、フィリピンという括りを持たされたフィリピン人は、これらの問いに悩むことになります。

ラプラプは中毒性のある魚の名前になりました

 形式上の独立をフィリピンに与えたアメリカは、フィリピンという国のそれらのアイデンティティの無さなどを理由に実効支配を続けていたため、フィリピン人は、フィリピンについて考えることが死活問題だったこともこの問題に拍車をかけます。

 そして、フィリピンは1920〜30年代に形式化した独立準備政府の時代に入ります。
 アメリカの支配から逃れるために自分たちの文化、言葉を作り出そうとする時期に突入したのです。

 アイデンティティの確立を目指し、山奥で生活していた少数民族を原初のフィリピン文化として扱うことや、身近な動物などのモチーフから発展したダンスであるフィリピン舞踊など、フィリピンの文化を徐々に生み出しました。

 そういった経緯の中でフィリピンの公用語としてフィリピノ語は生まれたのです。

 しかし、公用語として生まれたにも関わらずほぼタガログ語であるフィリピノ語は、フィリピン人の全員が喋れるわけではありません。
 その理由が八大言語です。フィリピンは約7000の島で構成されていますが、タガログ語が主に話されるのは、ルソン島とセブ島といくつかの島で他の多くの島は異なる言語を使います。

そういった理由から、タガログ語ばかりがフィリピノ語として扱われることに疑問の声もあります。フィリピノ語はまだまだ変化・成長の途中なのです。

 因むと、言語の異なる人々のコミュニケーションに使われるのは主に英語ということになっています。フィリピンでは実に九割もの人々が英語を使うことができます。

「じゃあ英語でよくね?」

 分かります。そう思う自分がいます、確実にいます。
 しかし、言語を学ぶ意味を考えると、言語を通して彼らフィリピン人の文化、生き方・考え方を学ぶことができるのです。
 民族の垣根を超えて理解を進めるために、私たち日本人が、外国人が日本語を学ぶのを良いこととするように、言語を学ぶことには意義があるのです。
 少なくとも、僕がフィリピン語を学んで良かったと思うことはあります。

例えば、この歌の歌詞が分かることとか。

ここから先は

0字

Podcast「チノアソビ」では語れなかったことをつらつらと。リベラル・アーツを中心に置くことを意識しつつも、政治・経済・その他時事ニュー…

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?