「褒める」お作法 ~カムカム視聴者が語る~

「褒める」という行為は難しい。

そもそも褒める目的は何か。
太鼓持ちやご機嫌取りもあるかもしれない。
でも一番は、相手の心に寄り添い、
相手を喜ばせたいからではないだろうか。
それを成しえるには、相手への理解が必要だ。



前提として、相手にとっての自分の立ち位置を
正確に捉えておくことが重要だ。

カムカムエヴリバディで例えてみよう。
五十嵐が殺陣を練習していたとする。
「引き算もできない馬鹿」のひなたが
頑張ってるねと褒めても
お前に何が分かるんだ馬鹿案件になるだけだ。
一方、「さみしいだろ、馬鹿」のひなたが
文ちゃん頑張ってるね、と褒めれば、
まあな、スターになるには練習も大事だからな、と
まんざらでもない様子になると思われる。


相手がどんな風に褒められるのが好きかも重要だ。

カムカムエヴリバディで例えてみよう。
トミーが侍らしている女の子たちは、
いつもキャーキャー言いながら
トミーのことをかっこいい素敵トランペットうまいと褒めている。
トミーの性格上まんざらでもない様子だが、
ジョーがこの褒められ方をしたらどうだろう。
ベリーひとりからの賞賛にも逃げていたくらいだ。
(ベリーが雑魚100人よりパワーあることは一旦置いておく。)
きっと居心地悪そうに逃げてしまうだろう。


相手への理解が必要な理由の最たるところ。
それは、相手にとって最も誇りを持っていることこそが、
最も褒められて喜ばしく、心に響く事柄だからだ。

カムカムエヴリバディで例えてみよう。
たちばなのお店を褒めるポイントはたくさんある。
もてなしの心を持った店員の対応、
地域密着型の親しみやすさ
配達OKな利便性
様々ではあるが、あの店の一番の誇りは間違いなくあんこである。
この店のあんこは絶品ですねと言えば、
きっと安子が満面の笑顔で応えてくれるだろう。
我らカムカム視聴者の脳裏に焼き付いて離れない安子の笑顔。
もう一度見たい、安子の笑顔。
褒めるという行為の動機は、太鼓持ちやご機嫌取りではなく、
あの安子の笑顔をみたいという思いでなければならないのだ。
ああ、せめて安子がアメリカで笑顔でいられますように。


結局言いたいことをまとめると、
カムカムエヴリバディは最高ってことです。


おわり


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