ストレスな出来事が心の平穏への道導になっていく
モヤモヤ感や不快感、ストレスのかかる状況は自然な流れに自分が抵抗を起こしている合図。
良い悪いの判断や、「こうじゃなきゃダメだ」と言った執着が抵抗を引き起こし、不快な感情として現れる。
その不快な感情を辿って行くと自分の観念(思い込み)に突き当たる。
そして観念や思い込みの更に奥にあるのが根源的な欲求。
承認されたい、承認したい
状況や人をコントロールしたい
安心したい、安全でいたい
この欲求が満たされない時、ストレスを感じる。
欲求が強いほど、そして欲求がより満たされない状況になる程、強いストレスになる。
そして残念な事に、この欲求が常に満たされ続ける状況にはなり得ない。
だからこそ欲求を手放して行く事が大切になる。
手放しに必要なのは「気づく」事。
今何を感じ、自分がどんな観念を持ち、どの欲求が満たされていないと感じ状況に反発しているのか?
不快感やストレスを感じる状況が起こった時、外側の世界では無く、自分の中に意識を向ける。
自分を観察し、意識を向け、気づいてあげる。
自分に興味関心を向け、寄り添う事が大切。
観念や欲求に気づければ手放す準備は完了している。
「私は〇〇という観念を手放します」
「私は〇〇という欲求を今、解放します」
自分の不快感を意識しながら上記の言葉を唱えたり、
イメージが得意ならモヤモヤをゴミ箱に捨てたり、燃やしたり、海に沈めたりするイメージをしても良い。
モヤモヤがとれ、スッキリすれば手放せている。
観念や欲求を手放せば手放すほど、以前はストレスを感じていた状況でも全くストレスを感じなくなる。
むしろ自分の観念を炙り出し、手放すための演出だったんだと本気で思えてくる。
ストレスを感じていた出来事に感謝の気持ちすら芽生える。
結局「全ては完璧だったんだと」
そこに行き着く。
ストレスな出来事が自分を軽くし、より平穏へと導いてくれる。
「敵」だと思っていた相手が「自分」を教えてくれる。
自分をより深く知るために現れたのだと思うと「敵」こそ「運命の相手」なのかも知れない。
まぁ結局「敵」も「味方」も全てが自分で、全てが自作自演なのだと気がつく時が来るのだが…
それは色々なものを手放していくと自然と訪れる認識。
修羅から仏へ。
全ては自分の認識が創っている。