人の一生は、儚く、美しく、愛おしい。
まるでどこか決まり文句みたいだな〜。そんなことを思いながら書いている。
ヘッダーの写真は、私の老後の憧れローモデルでもある津端夫妻の写真です。ドキュメンタリー映画『 フルーツ人生 』のフライヤーよりお借りしております。大好きなご夫婦のお写真をありがとうございます。ご主人の津端修一さんは残念ながら5年前に他界されており、奥様である英子様は調べたところ不明でした。ご主人のご冥福をお祈りすると共に奥様がお元気である事をお祈りしております。
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今日は『 rinchan'sファミリーヒストリー 』をお送りします。
祖父の一生をみつめ。祖母の一生をみつめてみる。
寡黙で実直な祖父。直向きで聡明な祖母。
私は、そんな二人の内孫として育てられた。
実はお二人、戸籍上赤の他人であったが幼少期からひとつ屋根の下で暮らしている。今では嘘の話のようだが、昔は病死が頻繁で後妻を娶る(めとる)のが当たり前の時代だった。そう、祖母は後妻である曽祖母の娘である。
不思議な関係の結婚。家長である曽祖父の采配で全てが決められていた。当時の祖父母はどんな想いだったのだろう。当たり前の潮流に逆らう事なく泳ぐ、互いの心境はとても複雑であっただろう。互いに好きな人もいたかも知れない。結婚はそれそれの親が決め、離婚は許されない時代。
若き乙女であった祖母のエピソードを聞いたことがある。歳は二十歳位だろうか?当時祖母は、会社に勤めてタイプ(今でいうパソコン)を打っていたそうだ。とても楽しかったらしく会社では重宝されたよう。楽しい盛り、結婚のため敢なく退社し家庭に入った。祖父は、田舎町の某電力会社に勤めていた。その為、戦火ではその専門部署に配属になったそうだ。
曽祖父は、隠居生活に入る前自転車屋を営んでいた。当時チラシなど宣伝が無かったときマッチ箱に自社店名を印刷し配って切り盛りしたそうだ。結構アイディアマンだったらしく、それでいて風貌はガンジーそのものだった。なので親戚のお兄ちゃんと『ガンジー』とか、耳がつり上がってたので『火星人』と言ってこっそり楽しんでいた。(ごめんなさい、ひいじいちゃん)
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今ようやく、祖父母の一生を振り返れる歳になったような気がしている。
もし私が祖父母の時代に生きていたらどうしただろう?おそらく我が母のように自由奔放に生きたかもしれない。そう思うと到底真似できない。感服、尊敬の念が堪えない。
ロスジェネ世代の私が、スポ根がなかなか抜けれないのも、祖父母から滲み出る美をみていたからだろう。現代にそぐわないかも知れない、けれど、彼らの人生美の哲学は今私の中にある。
映画の『この世界の片隅に』観ると、どうしても祖父母を思いだすのはそのせいなんだ。すずさんは祖母。周作さんは祖父。心奪われ涙してまう直向きな人生。
受け継いできた価値観、と、私がこれまで生きた価値観。両方をミックスして今の私がある。良いばかりの思い出ではないけれど、本当に大切なものを教えてもらったように思う。それは彼らの背中が語ったもの。
何故だか分からなが、祖父母を通して人の一生を考えると、すべての人が愛おしく感じる。人生って儚くて美しい。
だから今日も、笑顔で小さな幸せを掻き集め生るよ。
もちろん、大変なことの方が多い、けど、それでも希望を忘れないのは貴方達の孫だから。
ありがとう。あなた方の孫で本当に良かった。
『 フルーツ人生 』
人生は、だんだん美しくなる。
あなたはどんなフルーツを、実らせたいですか?
思わず微笑んでしまう素敵な映画CM。
樹木希林さんのナレーションが映像にそっと花を添えてくれてます。
” あたたかい飲み物で体をあたためて "
" このCMで心をあたためて ”
素敵な一日をお過ごし下さいね。
この笑顔がすべてを物語ってますね。こんな夫婦になりたいな。
あ〜憧れちゃいます♡