大人の"感性"の育てかた─物書きにこそ「ジェスドロ」をおすすめする理由─
午前5時。子ども部屋のドアを、父がノックする。
「朝市行くよ」
「やだよ。ねむいもん」
わたしはふとんの中でもぞもぞと寝返りを打つ。
「いいから、早く着替えて」
外はまだ暗い。夜っていうほどではないけれど、陽の光の一筋も感じられない。渋々車に乗り込む。あくびが止まらない。
書くために、いちばん大事なこと
しばらく車を走らせていると、空の色が変わってきた。
天頂の青色はやや淡くなり、空の端っこは温かみを帯びていた。少しずつ朝が近づいている。
「書くために大事なのは、感性を育てることだ」
運転席の父が、前を向いたまま言った。
「書くことは、感性の次にくる。なにかを見て、感じて、はじめてそれを書くことができる」
「ふうん」
眠たくて不機嫌なわたしは、父の言葉を右から左へと聞き流した。
だから、たぶんこうだったはず、というだけで、正確な表現は覚えていない。
「書くことを仕事にしたい」という夢は、小学生のころから胸のうちにあった。家族に隠すことなど特にせず、ひたすら絵本のようなものを量産していた。
らくがき帳を半分に切って、それを半分に折って、ホチキスで留めたもの。
父のことを考えると思い浮かぶのは、本に目を落とす姿だ。
仕事が休みの日は、ダイニングだったり畳の上だったり、あらゆる場所で読書に明け暮れていた。
だからなのだろう、父は、わたしが文章を書くことをうれしそうにしていた。でも。
「だからって、なんで朝市?」
眠たいわたしは口を尖らせる。
「いろんな物が売られてる。いろんな人がいる。目新しいものを見つけたり、人を観察したり、短い時間でたくさんの経験ができる」
そんなようなことを、父は言っていた。
父のいう朝市は、今もあるのかわからない。
というのも、日曜朝市のような、休日の早朝だけやっているものだったからだ。通りにたくさんの人が品物を並べて、そこに行き交う人々が、買いものと会話を楽しむ。
鷺草とさるなし
その日、父が曲がり角にある露天の前で足を止めたのは、もの珍しい山野草の鉢植えをいくつも見つけたからだろう。
父はとても植物が好きだ。母も観葉植物が好きなので、三階建ての実家は家じゅうが植物と本で埋まっている。
父はいろいろな植物を朝市で購入していたが、その中でもひとつ印象に残っているものがある。鷺草だ。鷺というのは、田んぼや池などによくいる白い鳥のこと。
父が買ってきた鷺草は、真っ白な花を咲かせた。その名のとおり、白鷺にそっくりな形をした、可憐な花だ。
「お嬢ちゃん、おまけだよ」
三十代後半くらいの女性が、ビニール袋に詰めてくれたのは、さくらんぼくらいの大きさをした緑色の木の実。さくらんぼのように丸くはなく、やや細長い形をしている。
「家に帰って食べな。うまいよ」
長い黒髪を垂らし、キャップをかぶったその人はにかっと笑った。
「なにこれ、ちっちゃなキウイ?」
家に帰って、母が切ってくれたそれは、見た目からはとても想像できない中身だった。どう見てもキウイなのだ。
「さるなしって言うらしいな」
父が言った。
これを書くにあたって調べてみたところ、猿が全部食べてなくなってしまうから「さるなし」と呼ばれるのだとか。
九月から十月の、ほんのわずかな期間しか食べることができなくて、幻の果実とも呼ばれているそうだ。
あの朝市の時間は、本当に感性を育ててくれていた。いまのわたしならそう思うけれど、早起きするのがきらいだったわたしは、その後、父の誘いに応じることはなかった。
世界の解像度を上げる、たった一つの方法
はじめて、自分の文章でお金をもらったのは10代のときだった。
公募での受賞をきっかけに、エッセイの執筆依頼をいただいたのだ。父が育ててくれた感性を、ほめてくれる人がいた。
それから紆余曲折を経て、「書く」ことを仕事にした。もう10年以上になる。
いちばん多くいただいたお仕事が、雑誌に関わるものだ。書店にならんだ本は国内外で6冊。さまざまなWeb媒体でコラムも書かせてもらっている。
ただ、女性の生き方というのはむずかしく、家族である以上、住む場所を選ぶ自由はわたしにはなかった。
また、”わたしが書くもの”と地方とは、とても相性が悪かった。
文章だけでは完成し得ないものだったのだ。
それまでは出版社の人に自宅に来てもらい、詳しく打ち合わせをしたり、写真を撮ってもらうことの多い仕事だった。東京にいたからできたことだ。
だからこそ、夫の仕事の都合で東京から遠く離れたら、仕事のほとんどがなくなってしまった。
わざわざお金をかけて飛んで来られるほどの知名度が、わたしには足りなかったのだ。
それまでは、子どもの昼寝中に集中して書き、寝かしつけを終えたあとも明け方までパソコンに向かっていた。成長した子どもたちが幼稚園に行っているほんのわずかな時間だけで、なんとかなるくらいには、仕事は減ってしまった。
はじめはかなり落ち込んだ。
ぽっかりと空いた時間を、どう使おう……。
デザインの勉強をしてみたり、写真が少しでも綺麗に撮れるように研究したり、いろいろなことをやってみた。
でも、べつにそれで仕事が増えるわけでもなくて。ある程度やると諦め、ゲームをしたり、ただWeb小説を読みふけったりするようになった。
でも、こちらに家を建てて、子どものころから憧れていた自分の書斎を持たせてもらい、たくさんのママ友ができて、移住先の素敵なところがたくさん目につくようになったころ…
ふと「絵を描いてみたい」と思うようになった。
わたしの文章を読んでくれる人のなかで、「読むのが好きだけど、理解に時間がかかったり間違っていたりする」という悩みを打ち明けてくれた人が数人いたからだ。
ひと目でぱっとわかる絵や漫画が描けたらいいな。──この思いが、わたしの世界を変えることになった。
ジェスドロについて知りたい!というだけであれば、こちらの連載コラムでとても詳しく熱く語っています。
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