ボールペンという、ご機嫌な居場所
今日、とても気に入ったボールペンを買えた。
初めて、いいペンを買う
半年前、いまの街へ引っ越したとき
父母と、家の近くの羽田空港に遊びにいった。
ふらふらと歩く中
とある文房具屋さんをみつける。
「Baby needs a pen?」
問いかけるテキストと、
ペンを握った赤ちゃんの写真。
恥ずかしいからここには載せないけれど、
写真の下にあった返答の一言に、
母親がふいに
「これは莉奈(わたし)のことを、
いっているみたいだね」
と、つぶやいた。
母に言われたその一言は、少し意外で。
母としても無意識的ではなく、少し意志をもって言葉にしていたような気がした。
たぶん母は、すこし祈りというか、
「あなたのことを応援しているよ」というきもちを込めて言葉にしていたんじゃないかなと思う。
実家にいた時には、
抱いていなかった自分の目標だったから。
母のその一言が嬉しくて、
「次にペンを買うならここにしよう!」
と決めていた。
偶然だけれど、
ペンを買いたいんだという日がやってきた。
「さて、どうしようか?」と考える。
ペンは、もちろん書くためのものなので、
◎いまの自分が書きやすいか?
をすごく大切にしつつ、次に
◎手にとったときにワクワクするか?
という直感に従って選んでいった。
その結果買ったのが、
この万年筆ボールペン。
選んだこの子は、両方ともに1番よかった。
一目惚れのように
ビビビっときた訳ではないけれど、
このペンで「ものを書く自分」が
ご機嫌でにこにこしている姿が想像できる💭
私が好きなミントグリーン色なのも嬉しいし、
インクも交換しやすそうで楽だし
値段もいまの背丈にあっている。
「TUZU」というブランド名もとてもかわいい。
「わたし」の人生ために機嫌よく書きたい
さて「なぜ買ったのか?」というと、
今日から始まる『文章で生きるゼミ』を
楽しめますように。やりきれますように。
という祈りや願いということもあるけれど、
正直、昨日noteを書いた時点で
自分が楽しんだり、やりたきことをやりきる自信はもつことができた。
では、なぜやっぱり買いにきたのか?
それは
「ゼミの同期になる人たちの才能や熱意
歩む人生に嫉妬しすぎず、
自分は自分のやりたいように進むんだ」
という想いに立ち返る
居場所が欲しかったからである。
私は、
周りのひとから影響を受けることが好きだ。
基本的には、そもそももらう段階で
「ポジティブ」な色のエネルギーをもらう機会の方が多いのだけれど、
ときに(2-3年に1回くらいのペースで)
「嫉妬」や「悔しさ」というつよい感情出会うことがある。
「嫉妬」や「悔しさ」自体は
すごく良いエネルギーだし
大切にすべき感覚だと思う。
けれどいまの私は
「書く」という行為に対して、
ものすごくマイペースに!
自分の人生のために、やっていきたい!
という想いが強いのである。
書くことを「仕事にしたい」と考えているから
「本気になりたい」とは思うけれど、
いまの私にとっての「本気」とは
がむしゃらになり
1番になることや
周りから一目おかれることではない。
ブルーピリオドの大葉先生の言葉を借りると
「1位じゃなくて
自分の最高を目指さなきゃね」
が、大切だと思っている。
だからゼミの中で
ものすごく嫉妬する人や才能に出会ったり
誰かと自分の人生を比べそうになったときに
「エネルギーの交換自体はいいことだけれど、
結局『わたし』は何をしたいんだっけ?
何のためにやっているんだっけ?」
というところに立ち戻って、
その本質をアップデートし続けることに
目を向けたいのである。
ときに自分の内から湧く感覚や
本質的な願いから、
ぶれてしまったり、嫉妬に狂う瞬間が
自然と生まれると思うが
その感情自体はまるごと受け止めるとして。
でも、誰かの想いや温度がこもった
ペンをもったり眺めてあげることで
しっかり『じぶん』に戻ってこようと思った。
ひとからみたら健やかすぎるかもしれないし
もしくは、強欲に思われるかもしれないけれど。
私は最終的に、
「人から受けとるすべてのエネルギー」を
「自分のやりたいことを、自分が実現するため」
のポジティブなエネルギーに変換していきたいという想いがつよいのだ。
だってその方が、
「結果的に、自分もひとも幸せじゃない?」
と思ってるんだよね。
これは、幼い頃から思っていた訳ではなく
めちゃくちゃ悩んで考え抜いた上で
22歳くらいのときに悟るように気づいたけど
本当にそうだと思う。
おわりに
うだうだと書いてしまいましたが、
とにかく
かわいくて書きやすいペンを買えてご機嫌です。
日々、にこにこして書こうと思います。
にこにこしてご機嫌で、たのしんでるひとが
結局1番つよいねん。
(知らんけど!!)