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※加筆中 すべての人が「クリエイティビティ」を発揮できる社会への祈りと行動

パソコンに入れないうちに
スマホからさくっと、ハードルを低く
noteを書くことに慣れてみようかなと思います。

①「WE ARE ALL BORN CREATIVE」というコピーに、心惹かれた昨日。

昨日、インスタグラムのストーリーを見ている中で、株式会社水星代表の龍崎翔子さんの投稿をみつけた。

「WE ARE ALL BORN CREATIVE」

潔いコピーと
白地に黒文字のみのシンプルなデザイン。

投稿は、水星さんのノウハウを活かした
「社会課題を解決するようなホテル事業の運営を学ぶ・考える、ワークショップを含む講座」のお知らせであった。

まずは内容自体に「ふむふむ」と興味をもったのだが、日程を確認するとまず参加は難しい。

でも、直感的にシェアもしたくなったから、
参加はできないけれど
インスタのストーリーにシェアをした。


私は、たった3個上で、クリエイティビティを活かした事業を生み育てている龍崎さんを尊敬しているが、水星さんの信者とかオタクという訳ではない。


だからこそ、
「なんでシェアまでしたかったんだろう」
と気になっていてよく分からなかったが
一晩寝たらその正体がわかった。

私はおそらくこの講座のタイトルであり
投稿の1枚目である

「WE ARE ALL BORN CREATIVE」

という言葉に
最高!とバイブスをあげられたのだと思った。

「最高!」と思ったから、
直感的に、ついシェアをしたのである。


言葉自体、まっすぐで太い
ど真ん中のコピー。

シンプルだと思うけれど
これを「いま」「龍崎さん(水星さん)」
が届けていることを、めちゃくちゃかっこいいなと思った。

②「人々が持続可能的に、健やかに豊かに社会を生きるにはどうすればいいのか」というテーマ

そう気づいたとき、
「WE ARE ALL BORN CREATIVE」という言葉が、最近考えているテーマでもある

「私がやりたいことは何なのか?」
に、深く繋がっている気がしてきた。

私は、就活でキャリアに向き合うとき
広告代理店で、コピーライターがもつ思考や技術を身につけることで、

28-30歳くらいまでに、
ひとの心(感性・感情・価値観)という観点から、自分が超個人的に感じた社会的課題を解決する事業・企画・プロジェクトを生みだせる人になりたい


と、ことばで旗をたてながら
社会人をやってきた。

また私は社会人になったタイミングで
初めて東京(大都市)に住んだため、

社会人になってからの2年間半は
スポンジ状態だった文化的経験を満たすように

・展示会やアートをみにいく
・漫画や映画に触れる
・行ってみたい地域や宿へいく

とにかくやりたいこと・触れたいものに触れて「私はなにに感動するのか?」の総和を増やし続けた。

同時に

◎コピーライター養成講座(基礎)
◎コピーライター養成講座(田中直基クラス)
◎日本仕事百貨さんの文章講座

など、学びとアウトプット仲間探しを続けた。

自分で稼いだお金で、とにかく心が触れるものに触れながら、考えながら行動する中で

常に、私という人間は
「本質的には何に関心があるのか?」
「なににエネルギーをつかってみたい、と感じているのか?」

をみつけようとしていた。

その中で、26歳のいまみつけたのは
自分の関心事項は

「人々が持続可能的に、健やかに豊かに社会を生きるにはどうすればいいのか」

ということである。

これには「なぜか?」とか
「理由」は特にないかもしれない。
しかし、強いて考えるとすると

わたしが
「性質的に超ふつうで、素直な人間」
だからかもしれない。

(「ふつう」というのは、つかうのをためらうべき言葉だと思うが、今回は胸から出てきたのでここではそのまま残す)

・ぐーっとがんばれば、ちゃんも疲れる。
・やりたいことには、ぐーっと熱がはいる
・やりたくないことは、本当に限界までやらない
・人に意地悪をされたら悲しい
・誰かに褒められたら超うれしい。
・お腹が空いたら、元気がなくなるし機嫌が悪くなる
・やりたいことだとしてもエネルギーを使いすぎたら、疲れてダウンする。
・寝るのがすき

わたしはそんな、ふつうの人間である。

(こう書いていると、「そもそも普通じゃない人間とは?」と思ってくる。もしかしたらいないかも知れないね。ショートスリーパーの人とか??)

ただ、わたしは「超ふつうの性質」の人間だけれど、26年間の人生で出会ってきたひとと比較したときに「超素直」な人間だとも思う。

素直というのは、自分に対してもだし、 
周りの人に対しての表現・コミュニケーションについても。

2つの特徴を合わせてもっていて
それなりにうまくバランスをとれていることは
自分のもつ尖った特徴だと思っている。

素直だからこそ
私もだし周りのひともだし
自然とみんな「幸せでいてほしい」のだ。

だから私は
「人々が持続可能的に、健やかに豊かに社会を生きるにはどうすればいいのか」

という、願いを持っているのだとおもう。

③みながクリエイティビティを発揮して、自分らしく生きること

では、
「人々が持続可能的に、健やかに豊かに社会を生きるにはどうすればいいのか」

という願いをもったとき。
そのために、私ができることはなんだろう?

きっとこの意味を達成するために
いろんな分野でいろんな次元で、いろんなやり方で、それぞれの哲学をもった人たちが活動していると思う。

(具体的には最近いった〇〇では〇〇という人にであったし、▼では▼という人に出会った。)

その中で私が願っていて、
やりたくていまのやってみたくて発揮してみたいと思っていることは、

「みなが創造性を発揮して、人間らしく、その人らしく生きれるようにしたい」

ということである。

なんというか、自分の周りには自分も含めて
そうできていない人が多いなと感じる。
できている人ばかりがいる場所もあるけれど、

④そもそも「創造性」とは「下からくるもの」らしい。

◎辞書を引くとでてくるのが

⑤私にとっての「創造力」は「聴くこと」つまりは「ゆるすこと」

◎引用予定 塩谷舞さんのエッセイ

「聴く」ことはクリエイティブな行為である。

聴くのは、自分の声もだし、人の声も。
◎引用予定 塩谷舞さんのエッセイ


同時に「聴く」ことは、人をゆるすことである


そもそもみんなが創造性を発揮できる土壌・環境・学びを得られると過程する。

社会は組織はより良くなっていくのではないだろうか?という仮説にたってみる。

少なくとも今よりも「クリエイティビティを発揮できる大人」を増やせたら、社会は今より良くバランスを均衡を保ちながら本質的に豊かにし続けられるのではないだろうかと思うのだ。

⑥結論(未定)

結論


※加筆途中の私へ※

✍️ゆっくり書く✍️
大学時代、卒論の指導教官にも
一気に書こうとせず、
1ヶ月に一章。1週間に一節とか。
一気に推敲するのではなくて、章書く毎に推敲できるペースで書くといいよと言われたな。

断片的なままのこすことを大切にしてみます。

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