「26歳、うまくいきれてたまるかよ」と思ってしまいました。
10月19・20日で、
私の地元群馬県前橋市で
「前橋BOOKFES」が開かれた。
「朋あり、遠方より来る。
本あり、縁方より来る。」
うぅ、しびれる....
糸井重里さんが見つけ、魅せてくれる
かっこいいコピーのもと
事前準備と片付けの日の2日間。
参加したボランティアで
うれしかったことがあった。
初参加の前橋BOOKFES
今回のブックフェスは
糸井重里さん率いる「ほぼ日」さんが
旗振り役ということもあり、開始前からワクワクしていた。
実際にボランティアとして参加する中で
など。
いろんな嬉しさや気づきがあったけれど
すごく残したくなってしまったのは
高校の後輩おふたりとの出会いである。
「26歳。うまく生きれてたまるかよ」私の中のサンボマスター
一個下のAちゃん。四個下のKちゃん。
履然にもKちゃんは高校の吹奏楽部の後輩で
私の顔や声をみて
「あれ。
一倉さんってもしかして、吹奏楽部でしたか?
代は被っていないけれど、わたし後輩です!」
と声をかけてくれた。
また昼にお弁当を食べながら、
共通の知人Hちゃんの話をしていると
ボランティアに参加していたAちゃんも
「あれ?私もHちゃんと知り合いです」
と、話しかけてくれて
3人とも同じ高校出身だったことがわかった。
共通点をきっかけに、
それぞれ最近何をしているのか?とか
考えていること、不安に思っていることを共有する中で深い話になってきた。
1個下と3個下の子に対して
前日に葛藤した結果、
たどり着いた結論がそれだったこともあり
つい熱くなって
「いろいろ考えるよね。
でも、いま私は26歳なのだけれど。
まだうまく生きれてたまるかよ!
と昨日思ったんだよね。」
と伝えていた。
文字にするとめちゃくちゃ恥ずかしい...
ロックンロールすぎる。
(さすがサンボマスターで育ってきただけある)
でも、
振り返っても本当にそれはそうだと感じる。
では私にとって
「うまく生きる」とは何か?と言うと
「自然体で満足に生きる」ということだと思う。
もちろん人間なので、何歳になっても悩んだり、
困難に当たることは絶対あると思う。
けれど
ものすごく無理することがない状態。
私はこの感じで生きていきたいのである。
でも自分にとって
「いま26歳のわたし」は結果として、まだうまく生きることができなくてもいいらしい。
ただ4個下の後輩Kちゃんに後日note上で
◎「うまく生きれてたまるかよ」という言葉が印象だったと言ってもらったこと
◎私は「独自路線」を歩んでいると感じでもらえたいたことは
かなり嬉しかった!!
👇Kちゃんのnote
25歳までの自分とは、違う決断
そしてその日、
自分は、興味があった会社の応募をやめた。
今までの自分はなんでも
「やらない後悔より、やる後悔」と思って
欲張って物事をやっていた。
それ程に「知りたい」という欲望が強かったし、
選択したことを全部やれるだけの体力もあった。
でも今の私はそれ以上に
「世の中にいろんな生き方・働き方ができることを『自分の力で』つくって証明するということ」
に興味があるんだと思う。
(自分の力でというのは、全て0-1ではなくて
なにかを「引き継ぐ」ということも含めて)
応募しようと考えていた会社には興味があったし、自分と原動力が似ている社員さんもいてものすごく魅力的だったけれど
エントリシートをパッとみた時に
まず心の中に自然と湧き上がった感想が
「あぁ、
これは来年の7月だったら応募したかったな...」
ということだったのである。
今回、心の声を、
素直に信じてあげることができた。
「正社員になりたい」
という焦りを一度おいて。
「正社員になりたい」というのは、つまり
「社会的に自立したい」ということだと思うが
それを達成する手段は、
他にもっと沢山あると私は知っている。
本当に無理ないタイミングで無理ない縁で、
社会的な自立はしながらも
自分の足で前に進んでいたいと思った。