「諦め」を覚えたら、人生がちょっと楽になった話
負けず嫌い、完璧になれない完璧主義だった私。
たかだか、23年しか経ってない人生で、何度も病みました。
今は「ポジティブ」、「前向き」と友達にも会社の人にも言われるまで、公私ともにメンタルを維持できるように。
私のメンタルコントロールをちょっと書いてみようと思います。
根っこの部分は、ネガティブ
幼少期は、人見知りで初対面の人と話すこと・人前に立つことが大嫌いでした。
学生時代は、嫌なことがあった訳ではなく、何のために学校に行くのか分からなくなって休んだりすることも。
休んだ結果、将来人並みの人生を送れるか不安で「死にたい」と本気で思ったこともありました。
そんな時のターニングポイント。
死にかけたこと。
電車に乗るためにホームで立っている時、視界が歪んで夢のような感覚で、線路に落ちそうになった感覚を味わいました。
おそらく、本当に死にたいとまで思った一部の人には、すごく共感してもらえるのではないかなと思います。
人が命を失ってしまう時って、プツンと糸が切れて、諦めてしまう時だと思うんです。
そこから生まれた「諦め」の考え
「死んだかもしれない人生、どうなってもいいや。」
あの時、終わったかもしれない人生。
どう転んでも、好転。
そう思ったら、新しいことや不安なことに挑戦できました。
割と捨て身な行動が臆せずとれるのは、これが大きいかも。
もはや、やけくそに近いです。
「案外、他人は自分に興味がないから、どうなってもいいや。」
自分って、そこまで他人の事を考えてる?
一人の時間、改めて考えてるのって、最大でも1か月に1回会う程度の人までじゃない?
そう思ったら、人前で話したり、初対面の人と話すことが怖くなくなった。
実はネガティブ由来なポジティブ思考
よく私の性格で言われることって、
「ポジティブ」「前向き」「挑戦的」など割とはつらつとした印象を与えるものばかり。
ですが、ここまで書いてきた通り、割とネガティブな思考が私のポジティブを支えてます。
徐々に年を重ねて、経験を積んでいくうちに気付いたこと。
自分が追い求めていたものは100%じゃなくて、120%だった。
社会は100%だけで出来上がっているわけではない。
そうやって、いい意味で「諦め」をすることで、強くもなれるし、楽になりました。
23歳、人生のひよっこが話したかったこと。
「そんなに頑張らなくてもいいんじゃない?」
頑張らなくても、諦めても、楽しく過ごしている私がいるよ。
みんな気楽に生きようね。
どこかで誰かの励ましになりますように。
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