セクシャルマイノリティーの認知
小学生の時は性別も、障害もなにもかもかまわずみんな仲良しだった。
女の子になりたい男の子の幼馴染とは仲が良かったし、べつに女でも男でも気にもならなかった。
私のワンピースを着て、くるくる回る姿が楽しそうだったのを覚えいる。
知的障害がある友達に対しても何も思わなかった。それがその子だから別に意識したこともなかった。仲が良い友だち。ただそれだけでよかった。
そして私は双子。そっくりな片割れがいる。双子だからって一緒にされるのは嫌だった。
私は私。誰でもない。片割れと別人格として扱ってもらいたかった。私
のジェンダー意識のルーツは双子であることの影響が大きい。偏見から、双子だからって一緒だと思われることが多い。それが嫌だったから、私は偏見を持たずにいようと思っていた。
中学生の頃、好きな女の子がいた。でも同性だし、嫌われたくないから、思いは伝えなかった。
その頃、自分の性にも戸惑っていた。女だけど性に囚われたくないという思いも強かったように思う。思いとは裏腹に生理がきて、小さな胸が膨らんで、自分は女なんだと思わざるおえなかった。
そのとき私の幼馴染も悩んでいた。男性だけど男性が好きで、告白したら振られて傷ついていた。女になりたくても男である自分に葛藤していたのかもしれない。
小学生までは性別なんか意識していなかったのに中学になった途端、性別というものが大きくのしかかってきた。あんなに仲良しだった男友達とも遊ばなくなって、話さなくなった。
障害があった友達は同じ中学の特別学級にいき、高校は養護学校に進学した。なんとなく話すこともなくなり、距離ができて、寂しかった。
高校になる頃には自分の性を女だと認知できるようになった。同じバレー部の先輩が大好きで毎日のように「好きです。結婚してください。」って言っていた。半分本気で半分冗談だった。先輩は高身長でスタイルが良くて綺麗で、バレーもうまくて本当に憧れだった。一緒にいられるだけ嬉しかった。
この頃は男嫌いに拍車がかかる一方、他校に片思いの男性もいた。小学校からの幼馴染が好きだった。バトミントンの試合のたびに応援メッセージをメールで送ったり、現地に応援に行ったりもしていた。幼馴染には彼女がいたし、この関係が崩れるのは嫌だったから思いは隠していた。
私自身の見た目はショートヘアのボーイッシュで高身長。スタイルもよく、バレーもセンタープレイヤーとしては県内でそこそこ目立っていた。他校に私のファンがいて、試合の度に黄色い声援が響いていた。宝塚の男役みたいな、そんな立場だった。高校の別のクラスの女の子にもかっこいいって言われて、ピンクな視線を送ってくる子もいた。全然嫌じゃなかったし、むしろ嬉しかった。きっとこの頃にはバイセクシャルだったと思う。薄々は気づいてたけど。
そして高校を卒業して15歳年上の彼氏ができた。そこから私は女として目覚めていく。支配的で、共依存で、沼に落ちていく。SEXのやりかたは彼から体に叩き込まれた。痛みすら快感に変わった。
そこからはずっと恋愛対象は男性。
これでよかった。だけどレズプレイをして確信した。やっぱりバイセクシャルだったんだなって。女性も好き。ずっと片思いで終わってた同性への思いは認めてもいいんだって、レズプレイを通して強く感じた。肌が触れ合って、柔らかい舌を絡め合って、陰部を舐められて、恥ずかしいけど本当に気持ちよかった。そしてどこか安心感もある。心地よい。そして抱きしめたいって思いも湧いてきて、彼女の肌の温もを感じながら、愛撫した。可愛い。綺麗。男性のSEXとはまた違う感覚。とにかく恥ずかしいのに、安心感がる。初めて会った女性とSEX。全て身を委ねたくなる。甘えたくなる。また触れたい。そう思った。ゆっくり抱き合いたい。
まさかこの出会いで、セクシャリティに気づくとはおもってなかった。私自身も驚いている。でも確信した。男も女も好き。好きに性別なんか関係ない。長年引っかかっていたことが、やっと理解できたんだ。
ちなみに女になりたい幼馴染は、今年手術を受けて女になった。髪を伸ばして、化粧をして、ワンピースを着て本当に綺麗だ。ここまでたどり着くまで本当にいろんなことに悩んだとおもうけど、自分を認めて前に進む姿は輝いている