白衣の戦友
彼女と出会ったのは7年前のことだ。
病院の正面玄関に彼女はいた。
艶のある黒い髪のボブカット。
大きな瞳でばっちりメイク。
高身長でスタイルが良く、白衣を着こなすその姿はモデルのようだった。
手にはキティーちゃんのバインダー。
オーラのある新人とすれ違った。
とても綺麗な女性で私は目を奪われた。
彼女が入職してから数ヶ月が経った頃、私は異動で彼女の病棟に配属された。
あいも変わらずオーラのある女性で、ユーモアもばっちり。
仲良くなるのは時間はいらなかった。
彼女は私の10歳年上で、富山弁と関西弁が混じり合う話し方が特徴だ。
彼女は私のことを妹のように可愛がってくれた。
私がひとりの先輩からいじめにあっていたときも
「自分可愛さで、助けてあげれなくてごめん」と言いながらも、うまく逃げる方法を私に教えてくれて、陰ながら支えてくれた。
その後彼女は異動になり、
異動先で早々に妊娠したと風の便りで聞いた。
彼女は不妊でなかなか妊娠できなかっただけに、念願の妊娠。私は陰ながら同じ妊婦として応援していた。
そして同じ時期に私も妊娠した。
彼女は切迫流産で職場に顔を出すことはなくて寂しかったが
流産が多い現場、安全に出産してほしいと願った。
第一子出産後、私は異動になり配属された病棟はあまり相性がよくなく毎日がつまらなかった。
そんなとき彼女も同じ部署で育休復帰することになり再び一緒に働いた。
同い年の子供を持つママ、一緒に話すと花が咲く。
子供の発熱で休むことも多く、病棟でも煙たがられる存在の私を励ましてくれた。
思うように働けなくて辛い時に、ユーモアあふれる会話や、仕事と全く関係ない話が私を支えてくれた。
彼女はあまり自分のことを語りがらないが、小話がてら私に話をしてくれた。
彼女は若い時、大阪のミナミでキャバ嬢をしていたらしい。
大阪時代、髪が長くて引きずって歩いてる浮浪者におにぎりを投げて与えて餌付けをしたり、水商売のあと寝ずに朝から並んでパチンコを打ったり、面白い経験談を話してくれた。
またある程度売れていたキャバ嬢だったのか、広いマンションの廊下に蘭の花が並んでいたらしい。
サクラでホストを指名して姫を煽り、金を引き出したりとなかなかの話ばかりだ。
彼女のユーモアは大阪人そのもの。
富山弁に関西のノリツッコミが私の笑いのツボを押す。
2人目の妊娠、また私たちは同時期に妊娠出産した。
そして私たちは、職場復帰で私たちは異動先の部署で再び働くことになる。
たくさん笑って、いじりあって、時には真面目に働いて、
彼女がいたから楽しく働けた。
一緒に奮闘して過ごした7年間。
このままずっと続くのだろうと思っていたが、
彼女は通勤距離が遠いのと、保育園に子供を預ける時間が長いことで葛藤があり退職することになった
。
退職するというのはギリギリまで誰にも言わないでいたのも彼女らしい。そして全く寂しさもなくいつもと変わらない姿。
最後まで彼女はユーモア溢れる明るさで病棟スタッフを笑わせていた。
最後の日なのに朝から私をみるなり
「艶があって色気あるねw」といじってきた。
「わかりましたか!実は新しいワコールの下着つけてきてます!下着までお見通しですかー笑」とそんな会話をしていた。
そして何かにつけてみほちゃん今日は艶があるからなんでもできるといって仕事を任せてくる。
いつもそうやってうまいこと私を転がしてくるけど嫌いではない。
勤務最後の別れ際、
彼女は「みほちゃんを助けたようなふりをしてたけど、本当は私が助けられていた。ありがとう。」と言った。改めて言われると本当の別れのようで淋しい。
私は涙をこらえて「お互い様ですよ。ありがとう。また戻ってきてくださいね。」と答えた。
いつもピンチのとき助けてくれた。
ユーモアあふれる話とその明るさにどれだけ救われたか。
私も沢山笑顔になれた。
この7年。戦友と呼べる先輩。
一緒に働けて本当に楽しかった。
本当は凄く淋しいけど、
またどこかで明るくユーモア溢れるセンスで現場を明るくしているとおもうし
狭い業界だからまたどこかで会えると思う。
また会う日まで。
一緒に働けて楽しかったよ。