居酒屋で過ごした時間
お店の入口を開けると、そこは居酒屋。
お客さんの声が響く。
私は振り返らず、二階にある事務所に入る。
事務所はエアコンが利かない。
暑いから扇風機を回して、テーブルに向かう。
教材を開いて、問題を解いた。
事務所の窓からは銀杏の木が見えた。
緑色の銀杏の葉っぱ。
この木が紅葉する前に、お店は閉業する。
あと1ヶ月。ここにいられるのもあと1ヶ月。
私は事務所タバコを吸いながら、お客さんの笑い声を聞く。
事務所は私にとって居心地が良かった。
飲みに外に出ることがなくなった私には、この賑やかさが懐かしくて心地よい。
事務所のドアが開く。
「お茶持ってきたで。」
店長が冷えた烏龍茶を私に持ってきてくれた。
お茶を私に渡したあと、彼はへたったソファーに横たわり少し休憩をする。
彼が居酒屋の店長をしていると知ったのはつい最近のこと。
勉強する場所が欲しいと相談したら、事務所を使って良いと言われたので間借りさせてもらった。
バイトの子が帰ったあと、誰もいないお店のカウンターで彼が作った賄を食べながら話す時間が好きだった。
幼少期のこと、過去の恋愛のこと、仕事のこと、いろんなことを語り合った。
お互いを理解したくて、お酒を交えて話をする。
彼はよく「深い関係を築きたい」とよく私に言っていた。
それに応える気は、最初は全くなかったけど、話を聞けば聞くほど、興味が湧くし、ここまでオープンに話してくれるならと、それに応えるために私も話をした。
私も、もういい大人で、人に自分の暗い部分を見せることはないと思ってたし、弱さを共通しようなんて思ってなかった。
見せたって困らせるだけだと分かっていたから。
だけど彼は、見せたもの全て受け止めてくれる。
否定しないでいてくれる。
返ってくる言葉もすっと胸に落ちてくる。
墓場まで一人で抱えていこうと思ってた感情や出来事を彼に話すことで、心が軽くなったし、心の折り合いをつける事ができた。
今までいろんなことを我慢してきたけど、一人で背負わなくてもいいと思えた。
それがどれだけ私を救ったか。
いつのまにか彼の存在が、私の精神的な支えとなっていった。
彼の望む深い関係っていうのは、お互いを必要とし、大切に思える関係のことなのかもしれない。
私もそれに応えたくて彼の全てを受け入れた。
驚くこともたくさんあるけど、全部ひっくるめて彼を形成するもの。
それらも全部受け入れて愛そうと思った。
不思議と彼を知れば知るほど好きになっていった。この時間が、この1ヶ月が、私たちの関係を深めたと思う。
閉店後の語り合った時間、息抜きで連れ出してくれた夜の街、どれも輝いていた。
この時間が続きますようにと、どれだけ願ったことか。
店長の姿を、もっとみていたかった。そんな願いも虚しく、お店は閉業となり、大好きな時間も終わりを告げた。
私は、彼の良き理解者でありたいし、親友でありたいし、ときには女だったり、仕事のパートナーであったり、彼が望むいろんな姿でありたい。
この気持ちが芽生えたのも、閉店後の誰もいない店内で語りあったときに芽生えたものだ。
今でもあの時間を思い出す。
本当に楽しかったんだ。