わたしはそれを「前髪案件」と呼ぶ
みなさんは、今までの人生の中で前髪を伸ばしたことはあるだろうか?
もし経験がある方ならお分かりだと思うが、前髪を伸ばしている間はちょうど目のあたりに髪の毛がかかってうざったい。
かといって、耳にかけられるほど長くないので、耳に髪を持っていってもあざ笑うかのように、はらりと落ちて元に戻る。
今が辛抱の時。
今のこの中途半端な長さを超えたら、うざったい現状から解放される。
そう思いながら、がんばって耐えられれば視界のすっきりした日々が待っている。でも、どうしても我慢ができなくて、せっかく伸ばしかけていた前髪をざくっと切って、すっきりした日々と引き換えに振り出しに戻ることもある。
私はこの「今、我慢すればゆくゆく快適な日々が待っているのはわかっているのに、今この瞬間楽な道を選んで結局いつまでたっても目的地にたどり着けない」ことを心の中で「前髪案件」と呼んでいる。
前髪案件の一例
前髪案件は、身の回りにたくさん転がっている。
たとえば、ダイエット。痩せるためには適量を食べて運動をする必要があるのはわかっているけど、ついついチョコレートに手が伸びちゃう。
たとえば、掃除。キレイに片付いたら気持ちがすっきりするのはわかっているけど、めんどくささが勝って今日も掃除を後回しにしちゃう。
たとえば、朝。今この目覚ましで起きたら余裕を持って支度できるのはわかっているけど、目覚ましを止めて、本当に起きなきゃヤバい最終目覚ましが鳴るギリギリまで寝ちゃう。
場合によっては、本当は手を付けたほうがいいのは分かっているのに、それに立ち向かうには労力と気力が必要なことを知ってるから、そもそも手をつけない(=前髪を延ばさない)判断をすることもある。
そんな自分との接し方
アドラー心理学では物事を「目的論」で考えるらしい。人が何かの行動をするのは「その行動をとることが、自分のためになる」と判断したから。
それをふまえると、前髪案件は「その先に待っている快適な状況よりも、今、楽ちんな状態を選ぶ方が自分のためになる」と判断してるってことか。
たとえ「もういい!前髪を切る!」ってなったとしてもそれは悪いことじゃない。でも、その場合は気づいたら無意識に楽なほうを取ってた、じゃなくて、ちゃんと自分で「楽な方を取る!」って意識して選択していきたいな。
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