人生の夏休み、だったかもしれない
産休に入ったのは、去年の7月だった。
照りつける太陽も、反射してサンダルの底から熱を感じるコンクリートの照り返しも、室外機の熱風も、何もかもが暑い世界。
普通の人でも暑いのに、妊娠9ヶ月で、まるで大玉スイカが入ってるかのような、大きなお腹をかかえながら、保活のため毎日のように保育園の見学にいそしんでた。
2018年7月~9月の約1ヶ月半は、わたしにとって「人生の夏休み」だった。
あのときは、気付かなかったけど。
産休に入り、仕事が生活から無くなった。
大学卒業後に就職し、ずっと仕事をしてきた。仕事は好きなのに、それがぽっかり無くなって最初に感じたのは「焦り」だった。
毎日、何をしていいか、わからない。
自分が一体、何をしたいのか、わからない。
社会との、つながりがなくなったような感覚。
仕事をしてない自分は、この世に存在が認められてないんじゃないかと思ったりもした。
旦那さんからは、「お腹の中で子どもを育てるっていう、大事な仕事をしているんだから毎日すこやかに過ごしていれば、それで十分だよ」と言われたけれど
何か、もっと、やらなきゃ。
見えない何かに責められてるような気がして、気持ちが焦ってた。
何でもいいから、スケジュール帳に予定を埋めたくなって、保活をしようと保育園見学の予約の電話をし、毎日のように見学のアポを入れていった。
でもその一方、大きなお腹を抱えてるので、身体が思うように動かない。保育園見学の帰り道に貧血になり、道端で休みながら「わたしは一体何をやってるんだろう?」と自己嫌悪になり、メンタルが悪いスパイラルに入っていた。
産休に入った当初は、心がじりじりしてた。
きっかけがなんだったのか、今だに思い出せない。
でも、ふとした瞬間に、次の考えが自分の中に降りてきた。
「わたしは、いままで、世間が評価する生き方をすることに一生懸命だったんじゃない?
妊娠=キャリアの終わりだって考えがあるから、評価されない存在になったと思って焦ってるんじゃない?
本当は、どんな人生を送りたいの?」
はっとした。
確かにわたしは、「自分がやりたいから」という気持ちよりも「こうしたほうが周囲が喜ぶから」という視点で物事を選択してきた。
だから、わたしは、焦ってたんだ。
そう気付いて、暑い夏にビールを飲み干した時のような爽快感が身体中を駆け巡った。
「じゃあ、自分はどんな人生を送りたいの?」
いざこの問いに向き合うと、答えが出てこない。
今まで、世の中の正解に自分を当てていくやり方をずっとしていたから。正解がない問題を目の前にしたことがなかったから。
困ったわたしが、考えたのは
「それじゃ、明日1日、わたしはどんなふうに過ごしたい?」
ということ。
そう考えると、いろいろと出てくる。
・気になってたあのお店に行ってみようかな
・朝一で焼きたてパンを買ってきて朝食にしたいな
・ずっとやろうと思ってた、結婚式の写真の整理を明日こそやろう
などなど・・・
予定を立てて、やりたかったことをやる日々。
体調が悪くなる日もあるので、そういうときは予定を変更して1日中家でAmazon Primeビデオを見たり。
予定の変更も、自分の思いどおりにやっていい。だって、それが本当に自分の過ごしたい1日だから。
そうして、自分が過ごしたい毎日を過ごす。
今思い返してみると、去年、産休中の夏のあの日々は、人生の夏休みだったのかもしれない。