出産したら、8回分死にかけた話
「出産は命がけ」
という言葉を聞いても、正直「そんな、大げさな」なんて思っていました。
小説やドラマでは「母親は自分を産んで死んだ」という設定を目にすることもあるけどあくまでフィクションの世界の話で、自分とは無関係だと思ってたんです。
それが、まさか、自分が出産をきっかけに死にかけるなんて。
このnoteでは、一歩間違えたら死んでいた体験の中で感じたことを綴ります。
プロローグ
第二子を授かり、38週を過ぎたある日。この日は計画出産であらかじめ決まっていた出産日でした。
「おかあさん、これから赤ちゃん産んでくるよ。しばらく会えないけど、お腹の中から出てきた赤ちゃんと帰ってくるよ。それまで元気に、お父さんと仲良くね。
……じゃあ、行ってくるね。コロナで出産の立ち合いも、出産後の面会も禁止だけど、LINEはできるみたいだからまた連絡するね」
と、3歳になる娘と旦那さんに声をかけて家を出たのが朝7時。この時は、次に家に帰ってくるまでに、生死に関わる出来事が待っているなんて微塵も思っていませんでした。
病院に着いて受付を済ませると、分娩に向けた準備のため個室に通されます。点滴を打ち、麻酔を入れて様子を見ながら陣痛を起こし……を繰り返すこと8時間。「分娩室に行きましょう」と言われ、部屋を移動してから30分後、無事、赤ちゃんが誕生!
と↑で4行にまとめた内容も超大作のnoteが書けちゃうくらい濃い出来事だったのですが、今回のnoteはここからがはじまりです。
血圧低下は突然に
「16時42分、おめでとうございます!女の子です!処置があるので保育器で少しお預かりしますね。」
看護師さんが紫がかった色のシワシワの赤ちゃんを抱きかかえて、部屋の奥のほうに下がっていくのを見て「無事産まれてよかった…」とほっとしていたら…
あれ、貧血のようなふらっとした感じがする。
朝5時に食べてから何も口にしてなかったから血糖値が下がったのかな。なんて思いながら目をつぶっていると、襲いかかる強烈な吐き気。目の前も真っ白。
分娩時からつけていた血圧計を見て、横にいた看護師さんが「血圧、上60の下30です」と読み上げるのが聞こえてきました。妊婦検診で毎回計っていた血圧の半分以下です。
「あれ…どこかで血圧が60以下だと危篤状態って聞いたことがあった気がする…それが記憶違いじゃなければ、今、わたし、けっこうヤバい状態なんじゃ…?」なんて思っていると、外から数人の先生がバタバタと入ってきて慌ただしくなり、緊迫した空気が分娩室に漂います。
目の前が真っ白になりつつ、吐き気をガマンしていると、赤ちゃんを処置してくれていた看護師さんが戻ってきて、わたしの胸の上にそっと赤ちゃんを抱かせてくれます。
産まれたての青白い身体には、胎脂がついています。そっと赤ちゃんの手の近くに指を出すと、ぎゅっと握り返してくれました。
「目はつぶって見えないはずなのに。すごいな、わかるんだね。小さな爪だな……鼻は旦那さん似かな。」
なんて、感動の再開をしている間も血圧はみるみる下がって、先生たちが慌ただしく「輸血!点滴!!」と言っている声が聞こえてきます。
「それでは、お子さんこちらで預かりますね。」
と、看護師さんが子どもを抱きかかえて行く後ろ姿をぼんやり見届けると、わたしを襲う、気持ち悪さと異常なほどの眠気。
そして、先生たちの「救急車!」という声。
「ここ病院なのに救急車を呼ぶなんて、変なの…」と、気持ち悪さと眠さで朦朧とした頭で思ったのもつかの間、意識が飛びました。
死ぬかもしれない、と思ったときに考えたこと
意識が戻ると、そこは救急車の中でした。サイレンの音が聞こえます。相変わらず気持ちの悪さと眠さが、わたしを襲っています。
「めちゃくちゃ眠い。……雪山で遭難した人が「寝るな、寝たら死ぬぞ!」っていうシーンを映画とかで見るけど、もしかして今、その状況⁉眠っちゃったら、わたし、そのまま意識戻らなくて死ぬ!?」
そう考えていたにも関わらず、眠気には勝てず、いつのまにか寝てしまっていたようです。
次に意識が戻った時、わたしの目の前は真っ白な光で覆われていました。目を閉じていてもわかる、強烈な光。目を開けて外を見たいのに目が開かない。何より、息ができない。苦しい。苦しい。
苦しさにのたうち回るわたしの頭の中に、さっき出産したばかりの赤ちゃんの姿がフラッシュバックします。わたしの指を握った小さな手。
ああ、このまま死んだら、あの子にはもう2度と会えないのか。「自分が生まれてきたせいで、母親が死んだ。自分なんて産まれなきゃよかった」と、自分で自分のことを責めませんように。
朝、行ってきますといってバイバイした長女にも、もう会えないのか。まさか、今日の朝の「行ってきます」が最後の言葉になるなんて。
わたしがいなくなったら、可愛い2人の娘たちを旦那さんひとりに残すことになるのか……今、2人で長女の育児をしていても大変なのに。旦那さんひとりに2人の子どもたちを任せることになってしまって、ごめんね。
息ができなくて苦しい状態がずっと続いてる。苦しい。こんなに苦しいのに、まだ生きてる。苦しい。そんな状況の中で浮かんできたのは、わたしがいなくなることに対する贖いと、この先の未来を生きる彼らの幸せを願う心でした。
人は死ぬ間際に走馬灯を見るか?
気づいたら意識を失っていたようです。目の前の真っ白な光の先に何かが見えます。ずっと閉じてた目がようやく開きました。
まぶしいほどの真っ白な光の正体は、手術台を照らすライト。顔を上げると、手術室の中で10人近くの先生がわたしが寝そべる手術台を囲んでます!先生の中の一人がペンライトを私の目にあてながら「わかりますか?」と声をかけてきます。
「ああ、救急車で運ばれて、別の病院に移ったのか」
意識は取り戻しても、継続して襲ってくる尋常じゃない眠気。不思議なことに、痛みは全く感じません。出産時に入れた麻酔がずっと効いてるようです。
「痛くはないけど、苦しい。息ができない。」
目を開けていられないほどの苦しさ。それに眠さも加わって、一度開いた目も、閉じずにはいられません。目をつむると……家族に友達、仕事関係の同僚や先輩上司、お客様、その他お世話になった方々……今まで出会った人の顔が、頭の中で浮かんでは消え、浮かんでは消えていきます。
浮かんでくる順番は、出会った時間軸も、場所も、関係性の深さもバラバラ。今もつながりがある人も、もう二度と会えない人も。次から次へと顔が浮かんでくるので、一人ひとりとの思い出に浸る間もなく。
「これって、もしかして走馬灯…?走馬灯って、人生の中ので起きた出来事の断片が映画のエンドロールみたいに流れるものだと思ってたけど、今までの人生で出会った人の顔が浮かぶだけで、具体的なシーンが流れるわけじゃないのか。なるほど。」
走馬灯を見ながら、そんな自分をどこか冷静かつ客観的な目で見ていましたが、いつの間にかまた意識を失ってしまったようです。次に意識を取り戻したとき、走馬灯は消えていました。
その後も意識を取り戻し、また失い…が繰り返されます。
今までの人生で後悔してること
ある時は意識が戻った際に、人生で後悔していることについて考えていました。
人生100年時代って言われてるから、わたしの人生、うまくいけば60年強あると思ってたけど、今日で終わりかもしれない。
このままわたしの人生が終わったら……旦那さんとは共通の知人が少ないし、SNSアカウントは相互フォローしてないから、たとえば○○さんには、わたしの訃報は伝わらないんだろうな。このタイミングでわたしが死ぬなんて晴天の霹靂だから、わたしが副業してる会社に連絡を……なんて頭まわらないだろうな。
ああ、エンディングノートは書いたのに、自分の死を伝えたい人たちと、彼らへの連絡方法の共有にまで手が回らなかった……。ちょっと後悔。
それ以外に後悔していることは……うーん、産休前に「サバティカル休暇」を取って、毎日、何の為にもならなくても、純粋に自分がやりたいことを好き勝手やってたから「あの時、あれをやっておけばよかった」っていう後悔は全くないかも。
サバティカル休暇を取る、っていう判断は正しかったな。あの時の自分、えらい!今日ここで人生が終わっても、清々しい気分だ。
そんなことを思っていたら、いつの間にか意識を失っていました。
理想の死に方とは
「…子宮……取りますか」
遠くのほうから、声が聞こえてきました。
「え、今、子宮を取るって言った⁉」
びっくりすると同時に、秒で意識が戻ります。目を開くと、手術台に横たわる私の足側にいる先生が3人くらいで会話しています。何を話しているかまでは聞き取れません。会話が終わったと思ったら、お腹に、切られている感覚が。
麻酔が効いているので、痛くもなんともありません。でも、切られている感覚だけは伝わってきます。とても不思議な気分です。
「”死に方だけ”を考えると、この死に方は理想的かもしれないな」
手術台の上に横たわって、開腹されながらそんなことを考えていました。
高齢者となり年齢を重ねるほど、身体にガタが出てきます。病気の1つや2つかかるでしょう。やりたいことはあれど、身体がついていかない。食べたいものも好きに食べれない。老化や病気から来る痛みに耐えながら、命のろうそくが短くなっていくのをベッドの上でやりすごす…そんな晩年が待っているかもしれません。
でも、今の私は30代でまだ体力・気力も残っています。今日を迎えるまで大きな病気やケガをしたことはなく、行きたいところには自分の足で好きに行ってきたし、食べたいものもおいしく食べてきました。
今なら人生のピークを超えた後に降りかかるだろう身体的・精神的な「痛み」や「苦しみ」を感じる前に逝けます。さらに、今まさに開腹されているようですが、出産時から麻酔を入れていたので、痛みはゼロ。
「いつ死が訪れるか不安に駆られる日々とは無縁で、死ぬ前の痛みや苦しみをほぼ味わうことなく、眠るように人生を終えられる。これはある意味、理想的な死に方かもしれない。」
そんなことを考えていたら、意識がすーっと消えていきました。
家族との再会
遠くで、旦那さんの声と長女の声が聞こえた気がしました。
「あれ?空耳かな…?」意識が戻ります。が、あいかわらず目は開かず、身体も動きません。できることは周囲の音を聞くことだけです。
「がんばれ、がんばれーって、いっぱいおうえんしたよ」
「そうだね。お母さんに”がんばれー”って、応援したんだよね。」
「お父さんが先生と話してる間、娘さん、こちらでとてもいい子に遊んでましたよ」
長女と、旦那さんと、看護師さんらしき人が会話しているようです。
「まだ全身が管でつながれているのでこの姿を見ると心配でしょうが、状態は落ち着きました。遅い時間までおつかれさまでした。もう12時過ぎちゃいましたね。今日はお帰りいただいて大丈夫ですよ。」
……出産した病院から救急車でこっちの病院に運ばれて、家族に連絡が行ったのかな?12時過ぎてるってことは、出産がたしか17時前だったから……あれから7時間くらい経ったんだ。
「今後の入院について、明日以降ご連絡させていただくと思います」
「わかりました。…それじゃ、おかあさんにバイバイ言って帰ろう」
「おかあしゃん、がんばれー!ばいばーい」
ドアが閉まり、徐々に小さくなる廊下の足音。ついに聞こえなくなった後に残ったのは、病室の中にある心電図の音だけです。規則的にピッ、ピッという音を聞いていると
一命を取りとめたこと。
また旦那さんと娘の声を聞けたこと。
じわじわと実感が沸いてきます。
ああ、よかった。死んでなかった。
退院したら、また旦那さんと子どもたちに会える。
……さっきは、「このまま死ぬのは理想的かも」なんてばち当たりなこと考えてごめんね。
ひとすじの涙が零れ落ち、また眠りにつきました。
わたしの身に起こっていたこと
翌日以降になると意識がはっきりしてきました。身体の回復状態に合わせて、身体中から挿管された管が一本、また一本と抜けていきます。1日経った頃には、緊急外来から産科の病棟に移ることができました。
後日、手術を担当してくれた先生が、あの時一体何が起こっていたのか説明してくれました。要約するとこんな感じです。
「出産した病院、救急車、搬送後のこちらの病院で、あわせて16リットル(L)の血液を輸血しました。」と、先生が輸血について説明してくれます。が、16Lの輸血が多いのか少ないのか…全く見当が付きません。
「16Lって、多いんですか?」
「50kgの女性の体内の血液量が4Lくらいなので、4人分の血液ですね。通常は1Lの輸血で大量出血とされてますが、その16倍の量の血が出血されました。ちなみに全血液量の50%…だいたい2Lの血液が失われると心停止の状態になります。」
……えっ!噓でしょ。。
4人分の血液を輸血⁉⁉
2Lの出血で心停止だとすると…8回死んでる計算になる。
しかも、4人分の血液が丸々入れ替わってるってことは、今わたしの身体を流れてる血液は献血してくれた人たちの血液なのか!
自分の手の甲に目を落とすと、青い血管が浮かんでいます。今、ここを通ってる血液は、1滴たりとも自分の血液じゃないなんて。
「出血の量もさることながら、ヘモグロビンの値も1を切っていたんです。手術に立ち会っていた先生達も、こんなに低い数値は見たことないって言ってましたよ。」
…なるほど、あの時、息ができなくて苦しくて苦しくて仕方がなかったのは、ヘモグロビンが少なくて酸素が身体中に行き届かなかったからかもしれない。と、先生の説明を聞いて、合点がいきます。
「あれだけの出血があって助かったのは、学会で報告されるレベルです。」
そうなのか……。そんなにヤバい状態だったんだ。
一通り説明を受けたあと、「生きててよかったです」とわたしが言うと、先生がぽつり言いました。
「ほんと、生きててよかったです。」
たくさんの手術に立ち会ってきたであろう先生方が初めて経験した輸血量やヘモグロビンの値。説明を受けて、自分が死の淵にいた事実を突きつけられ、恐ろしさとともに、助けてくれた医師・看護師のみなさん、献血を通して血を分けてくれた見知らぬ方への感謝で胸がいっぱいになりました。
生還して思うこと
手術後、徐々に身体が回復し、携帯が見れるくらいになった頃。まだ発信する気力は戻っていません。けれど、ベッドで横になってるだけはヒマなので、SNSをながめていると……ふと思ったんです。
「あの時、わたしがこの世からいなくなっていたとしても、今見てるタイムラインが流れてるんだろうな。たとえ誰かが死んでも死ななくても、現世に生きる人の日常は続いていくんだ。」
世間的に「良し」とされることに自分を合わせて生きて、ある日、自分が死んでも何も変わらず日常が続くだけなら、外野のものさしに自分を合わせる必要はないのかもしれない。
定年後にやりたいことを先送りしたり、数十年後のFIREのために何かをガマンしすぎて、今が楽しくない…なんてことになったらもったいない。
わたしの人生は一度終わった。今は、アディショナルタイムだ。
月並みな言葉だけど、後悔しないように自分の人生を生きよう。
今回の死にかけた体験を経て、そう決意しました。