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50歳で海外に行くという夢

こんばんは。今日もお疲れ様です。
↑noteのお気遣いに、地味に感動した33歳です。

前職の同僚の方に誘っていただき、飲みに行った。
夢を見ているかのような、仕事が楽しかった情景を思い出す。
なぜか言いたいことを言っても大丈夫、という安心感があった。

相手は自分を知っている。自分も相手のことを知っている。
そして、この上なく尊敬と感謝がある。
この人はこれが得意だったな。あのとき助けてくれたな。
「今も誘ってくれて嬉しいです」という私の言葉を素直に受け取ってくれて、「こちらこそ、来てくれて嬉しいです!」って両思い。
(うるうるしちゃう…)

そんな最高の夜があって、翌日はジム通い。
食べ過ぎた夜を精算しないと、と無理やり体を起こす。

最高の気分に包まれて、さらに昔、一緒に働いていた親友から「電話しよ」と連絡がきた。数ヶ月ぶり。
離れていてもあまり気にしないし、親友と呼べる人は他にいないかも。
だいたい5時間くらい話をした。

最初はぽつぽつと始めた会話だけど、お互い大切なものも似ているから、話せば話すほど共感が湧く。
ずっと誰にも話せなかったことをいくつも話した。

どのくらい時間が経ったのか気になってきた頃、聞いてみた。
「たとえばさ、50歳になってから海外に行って、イチから勉強する人のことをどう思う?」

この質問には勇気がいった。
なぜなら、友人は学生の頃にモンゴルから日本に来て、今ではネイティブ顔負けの冗談を交えて日本語も話せる、いわば外国籍の人だから。
それでいて、苦労も曝け出してくれて、優しさもある。

否定されるのが怖い自分もいた。人を信じてみようと気合いを入れては傷つくことを繰り返し、自分の心の問題にこれ以上向き合うのも嫌だった。
友人を尊敬する気持ちと羨ましいと思うことも多くて、お互いに距離感には配慮していたと思う。

そんな友人が言った。
「いやーそれはそれでいい経験になると思うよね」私の反応を待たずに続けた。「なぜそう思うかって言うとね、だれしもが若い頃にやりたいことができるとは限らないから。私はね、日本に来てずっと思ってたよ。なぜ『この年になっても』とか『もう何歳だから』とか日本人は気にするの?別に良くない?何歳になっても、やりたいことをしたらよくない?」

心で泣いた。嬉しすぎて。
私が欲しい言葉をくれた、と思った。

「そりゃ、若い頃に行けた方がいいよ。制約も少ないし、若い頃はね。でも、なんにしても年齢を気にしなくてよくない?犯罪ニュースで毎回、年齢をいうのも気になる。年齢と犯罪はどう関係あるの?犯罪者は職業も公開されるでしょ。無職とか別にいわなくてよくない?『バツイチ』という言葉もそうよね、海外は何回結婚して何回離婚したとか気にしない。そもそも人の呼び方にそんな言葉使うのって、失礼じゃない?偏見だよね。私はそう思う」

友人の話を聞いて、現実は特に変わっていないのだけど、「あ、また一歩前進した」という気がした。認めてもらえた気がした。

私はこれまでどれだけ人に偏見を向けて、決めつけてきただろう。
どれだけ自分に制約を課して、勝手に苦しんできただろう。

6月がお誕生日の親友。HAPPY BIRTHDAYでお祝いを送った。
そのお礼の電話だったけれど、クッキーを送ったことをすっかり忘れていた私の方が今日は最高のプレゼントをいただいた。

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Okarina*
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