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みんなちがって、みんないい。

「みんなちがって、みんないい。」これは金子みすずさんの「わたしと小鳥とすずと」の詩の最後にでてくる文章である。小学校でこれを読んだとき、単純なわたしは、ありのままのわたしでいいんだと勇気づけられたのを今でも鮮明に覚えている。負けず嫌いなため、すぐ人と比べてしまい、悔しさで苦しむことが多かった。小学校5.6年生の担任の先生は、卒業式の前に全員にクラスの集合写真を貼ったカードを作ってくださり、1人1人にコメントをつけて渡してくれた。先生は2年間わたしを見てきて、最後に送る言葉はこれと決めていたらしい。「昨日の自分より、今日の自分がちょっぴり好きになれる。そんな生き方をしてほしい。」と。わたしはこれを読んだとき、他人と比べて劣等感を感じるのではなく、昨日の自分と比べて成長できていれば喜ぼうと思うようになった。それぞれがべつべつで優劣なんてない。「みんなちがって、みんないい。」一般論のきれいごとにも聞こえるかもしれないけど、わたしにとってこの言葉にはものすごく重みがある。向き合うべきは他の誰でもなく自分自身で、ライバルは自分である。

5月31日のカフェゼミで、大橋香奈さんが「移動する『家族』」を上映してくださった。これを見てわたしは「家族」とはなにかは一言ではとても表せないと感じた。家族観はほんとうに人それぞれでみんなそれぞれに違う。そして「みんなちがって、みんないい。」のだと強く感じた。5人の方の家族の形はどれも違ったし、みんなで対話をしたときもみんな違う価値観を持っていた。小学生のわたしだったら、きっとピンとこない価値観には興味を示せなかっただろうし、他の人と比べて自分の家族はどうかなとか考えていたと思う。けど今は違う。ピンとこない人の価値観も受け入れたいし、自分は自分らしくいたいし、他と比べる必要もない。普段は他人のパーソナルな部分のお話を聞けることはなかなかない。みんな色んな家族の形を持っていて、普段の会話でなかなか突っ込んで聞ける話ではないと思う。今回このような機会をいただけたことで自分の思う家族観とみんなが感じる家族観が違うということに改めて気づき、色んな方の家族観を知ることができた。多様性を受け入れ、自分の考えの幅を広げ、広い視野を持った人間になりたい。人のことを考えられない人間はだいたい自分が正しいと思っていたり、他の違う価値観を持った人の考えを知ろうとしないで突き放したりしていると思う。わたしは常に相手のことを思いやれる人になりたい。今のわたしはまだ自分ばっかりになってしまいがちで、視野がすごく狭い。もっと色んな人の考えを知って考えの幅を広げたいと思う。

今回のカフェゼミは前回と違い、みんなでお菓子とティーバッグを持ち寄った。色んなお菓子と色んなティーバッグが集まり、それぞれの個性が出ていてよかったし、色んなものが食べられて楽しかった。違うものが混ざり合ってプラスになることを実感した瞬間だった。みんな自分と同じ考え方だったら気持ち悪い。まとめたりするのは簡単だし、人間関係悩んだりしないかもしれないけど、わたしは違う方がいいと思っている。みんな違う価値観を持っているからこそ他の人の価値観から学べることがあったり、面白いアイディアが生まれたり、今回みたいに色んなお菓子が集まったりする。

今の日本だとどうしてもメジャーが好まれる傾向があると思う。人の目を全く気にしないのは難しいし、全く気にしないっていうのは不可能だと思う。でも少数派の意見が毎回多数派にかき消されてしまってはもったいない。自分が少数派の家族観を持っていたとしても胸を張っていたい。他の価値観はどうかわからないけど家族観は多数派が正しいとかないと思う。それぞれの家族観がそれぞれに正しくて、「みんな違って、みんないい。」はずである。カフェゼミの前は「家族とは」問いかけられたら「なによりも大切」とか「かけがえのない存在」とかありきたりなことを答えていたと思う。けどカフェゼミを終えた今「家族とは」と問いかけられたら「答えはない。人の数だけ答えがある。」と答える。

#MELCブログ #カフェゼミ180531_mb

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