子育ての「放置力」を子供目線で考えてみる。
ある日、YouTubeで動画を流し見ていたら「子育てに必要なのは放置力」と聞こえて来て
私は「まさに!」と思い、
誰が話しているのかをすぐさま確認した。
__提言していたのは、今世間を賑わせている、
イェール大学の成田さんだった。
そこで、私も「放置力」について考えてみることにした。
私の考える「放置力」とは子供が失敗すると
分かっていても、それに対して、
何かしらの結果が出るまで、見守り続けることだ。ポイントなるのは、
親は“何かしらの結果“をすぐに求めてはいけない
ということだ。
そりゃあ、大人の方が人生経験が長く、
相当な場数を踏んできたのだから、
ある程度の未来は予測できてしまう。
例えば、子供がいきなり急な坂を
走り出したとする。
早いスピードで、坂を下ったら、
転んで膝小僧を擦りむいてしまうだろう。
子を可愛がる親は、子供に
「そんなに走ったらダメ!」と制止するだろう。
できれば痛い思いはさせたくないからだ。
確かに、生死の危険が伴うような場合は、
親は子の命を守らなくてはいけない。
しかし死なないならば、ある程度、
自由に泳がせておいた方がいいのではないかとも
思うのだ。
つまるところ、私が言いたいのは
「成長過程の中で、人は少しだけ痛い目に遭わないといけない」ということだ。
痛い目に遭い、そこから親の助けを得ずに、
1人で這い上がる「精神力」こそが、
子供にとっていつか、親から自立したときの
“お守り“となると思うのだ。
社会『で』生きるのではなく、
社会『を』自分の意思を持って、
より主体的に生きていくことは、
簡単なことではない。だからこそ、
私は精神力をなるべく早いうちから
身につけおいた方がいいと考える。
__子供は失敗を通して、何を学び、身につけていくのだろうか。
例えば、
__失敗からの挫折感、
なぜ失敗したかを考察する思考力、失敗しても挑戦し続ける忍耐力、、、
いいことばかりではない。しかし、どれも大切ことであるように思う。学校で教えてくれるわけではないから、自分の身を時には傷つけてでも、失敗していかなくてはいけない。
走らなかったら、風が自分を包み込む昂揚感、転んで地面からみえる景色、擦り傷のズキズキとした痛みを知らないまま大人に育ってしまう。
幼少期にしか経験し得ないものを大人が奪ってしまうのは、非常にもったいない。
「かわいい子には旅をさせよ。」
__ことわざは嘘をつかない。
自分の足で立ち上がる方法は、
自分で探さなくてはいけない。
子供の純粋な世界に、大人の経験則と常識を
持ち込んでしまっては
子供は、学べるものも学べないと思う。
まさに火の中に飛び込む勢いの、
危なっかしい子供に対して
「今、私は子に学ぶ機会を与えているんだ」と達観できる親は少ないだろう。
こんなことを書けば「君は子供を持ったことがないから、そんな悠長なことを言ってられるんだ。」「子供を思う親の気持ちが、君には分かるまい。」
という声が聞こえて来そうだ。
それは至極真っ当な意見である。おっしゃる通り、私には分からない。もし、親の気持ちを完全に理解できていたら、こんな記事を書くわけない。私はまだ学生で、親の稼ぎで暮らしてるし、
もちろん子供を育てた経験はない。
でもだからこそ、伝えたいこともあるのだ。
いつか、私にも愛する子供ができて、自分が書いたこの記事を読んで、過去の自分に憤慨してしまう日がくるかもしれない。しかし、そのときはその時だ。
そのときは、この記事を未来の自分に贈られた
「子供の成長をあたたかく見守るための、
しがない年下の自分からアドバイス」にしたい。