他者となにかを共有できると言うのは、一緒にいるというのは、きっとそれだけで素敵なこと
ひとつの輪が終わりを迎えた。
11月から10名で歩いてきた「ひらがなを話す会」が全8回を終えた。
今日はもうすっかり春ですね、と言い合える空気の中、私たちは輪になって最後の時間を過ごした。春の始まりのあったかい日。ずっと真ん中で炊かれていたストーブも、最後は必要がなくなった。ひとつの冬を一緒に越したんだな私たち。
私たちは何かの解決を目指してない。だから、やってることを聞かれてもうまく答えられないことが多い。何を大切にしていて、どんなふうに一緒にいようとしているかを、今話せる言葉で、一生懸命話す。
励まし合いたいんじゃない。わかり合いたいんじゃない。人と人がひとつでただいる時のあの場所をみんなで経験してそこから一緒に生きていきたい。
いい人でいる必要も、価値がある人である必要も、物分かりがいい人である必要もなく、個性を主張する必要もない。ラッキーな人である必要も、愛情深い人である必要もない。自分の中にある「こうじゃなきゃ」とか「こんなのだめだ」とひとつひとつ和解する道を歩む人々がひとつの集合として作る輪のあの感じを、一緒に共有したい。私たちは分かれ分かれじゃなかったら、ただひとつになれる。お互いにエネルギーを注ぎあえる。混ざり合える。それが本当に感じられたら、私たちにはげんきが溢れてくる。それは一緒に体験した人たちならわかる。
ひらがなは人と人でそれをやるし、ファーストピースサークルは人と自然と人でそれをやる。ああ、この感じをどう説明できるんだろうともどかしさを感じていたら、大学院でサルの群れを研究しているいとこの投稿に心震えた。
こうも違う人と人が、なぜわざわざ一緒にいるのか。どうしてひらがなを話す会では、あんなにもきもちのいい時間があるのか。そのことを、サルと一緒に雨宿りしたハルカは「他者となにかを共有できると言うのは、一緒にいるというのは、きっとそれだけで素敵なこと。直感的な真実がそこにはある気がしたそれを言葉にしたい。」と言う。
わたしの中の「もっと表現したい」とうねる気持ちがスッと流れていくのを感じた。わたしも直感的にこの「一緒に」が真実だと感じてて、それを言葉にしたい。そうそう。そうなんだよ。そして言葉にするのにはまだまだ体験が必要。だから、これからもちゃんと悶え続けようと思う。
改めて、ひらがなを話す会@kataribaのみんなとあの時間を共有できて本当に素敵だった。一緒にいられて、本当に素敵だった。わたしは理由なくあの時間を宝物だと思う。好きな人を好きと思うとき、理由はいくらでも言えるけど、実は全く言わなくてもいいくらい理由が無いなあと思うのとおんなじ。言葉にならないけど同時に、言葉にしたい。この感覚をもっと分かち合いたいから。みんなと共有したいから。
サルから学ぶいとこ、人間たちと学ぶわたし。
私たちは、一緒にいたいのだ。
Earth Partner 平田里菜