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《わたしとはとんでもなく複雑な存在だ》というシンプルさを大いに生きるひらがなの道

ひとりひとりが同じ生命で、その現れは全て違う。こんなに神聖で神秘的なことがあるだろうか。この感覚に心が触れたとき、わたしのsence of wonderがバンザイする。

週末にひらいた名古屋での「ひらがなを話す会」で、わたしは圧倒された。輪には「生命力」がうごめいていた。ひとりひとりの存在のあまりの豊かさ、複雑さ、そのうつくしさ。こんな存在が今ここに少なくとも13人もいる。その13人がみんなして自分の内側でささやくたくさんの声に耳を傾けて声を出す姿は、その輪は、圧倒的だった。ぐるぐる大きい風が吹いたり波が押し寄せたりその中から突然キューピッドが出てきたりするような、生々しい時間だった。

困惑したり楽しんだりしながら一緒にいるみんなを見て、一体わたしは、これがなんの役に立つと言えるんだろうって泣いた。だって大変だ。みんなこんなに自分の内側に地球みたいに色々が共生してる存在だと気づきたいだろうか。気づいたら不都合しかないんじゃないか。「これがわたし」って教えてくれる占いや診断が人気なのは、そう決めた方がわかりやすくて生きやすいからだろう。自分の複雑さに、豊かさに触れていては生きにくい世界の中で、わたしは本当にこれをやっていいのだろうか、でもやりたいんだ、と泣いた。

じゃあこの道を諦めたい?いいえ、絶対嫌です。わたしが諦めたくないのは、人々が自然そのものとして生きていく道。自分の何も置き去りにせずに生きる道。自然はそのままでみんなで一緒に生きている。私たちもそこに戻ろう。自然として生きることに戻るために私たちは、自然保護よりも前にやることがある。自分という自然の保護だ。

素敵なことをしなきゃとか大層な立派なことをしなきゃとか、いいやつでいなきゃとか、もっと穏やかでいなきゃとか、もっと自分と向き合わなきゃとか。なんであろうとそれは自分を切り刻んでる。自分と戦ってる。自分との戦いは、世界との戦いの始まり。ひらがなを話す会は、戦いをやめてみんなと一緒に生きていく道。自分自身や外の世界と戦うために力を使うことをやめて、世界と愛を育むために力をつかいましょうという、お祈りと希望と練習の道。

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愛とか調和とか言う時大事なのは、私たちはただ綺麗で清潔なだけじゃないということ。「わたし」の内側には、うんちも愛も全部ある。固い骨と柔らかい肉と電気を流す神経が複雑に協働し、分裂しては剥がれ続ける細胞と海に近い水で満たされた肉体の中に、感じると考えると思うと記憶が全部同時に存在してそれぞれに息づいている存在、それがわたし。この全部を生きるのは、とんでもないなって思う。わたしが生きてるということへのsence of wonderはありますか。自分の中にその感覚を取り戻し、自分以外の生命の現れにそれを見ること。ひらがなを話す会は、人間に生命の光と力づよさを取り戻していく道。

私たちの内側に全てが存在してるっていうまなざしを取り戻していきたい。自分の生命にwonderが起これば、他の生命へのwonderも起こる。そしたら私たちはもっと大事にしあえる。人同士も、動物や植物や大地とも。

私たちそれぞれ自分の「部分」を研ぎ澄まして生きることを、もう大概頑張ってきたんじゃないですか。お疲れ様でした。すごかった。本当によくやった。刺激的なエキサイティングな時間だったね。でもちょっと、これでこのままどこに行くの?って気がしませんか。わたしは大いにしています。もっとまるくげんきに健やかに生きていきたい。

私たちと一緒に、もっとシンプルに地球を生きるために、一緒に「わたしの全部」に会いにいきませんか。最初は慣れないと思うけど、どこに旅行に行くより感動があるよ。うんこも愛も大いに産み出す光の現れとして、一緒にげんきに生きていきましょう。私たちもこの世界もとんでもなく色んなもんが共生してるよっていうシンプルさを一緒に生きていけたら、私たちはもっとげんきになるし、地球はもっとあおくまあるくなるという夢を描いています。

1月からのオンラインの会は、残り1名の参加者を待ってます。一緒に歩いてくれる方、どうぞご連絡ください。

Earth Partner
平田里菜
https://www.facebook.com/rina.hirata.777

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