なんでもない日常に戻らない。
10月も半ばを過ぎて、すっかり街は秋の装いだ。しとしとと降る雨には少しうんざりするけれど、ときおり漂ってくる金木犀の香りに気分がやすらぐ。
ついこの間まで春だったのになぁ。
「言葉の企画」の振り返りをすると、時の流れの早さに気がついてしまう。
先日ついに、半年間の講義の最終回が行われた。
最終講義は、立候補した26人の企画生が前に立ち、「自分の企画」〜どんな企画をする人になりますか?〜をテーマにプレゼンするというもの。
わたしはちょっと悩んだものの、立候補をしなかった。
9月は自分史上、最高潮にもやもやしていて、自分の決意表明のようなものをうまく言葉にまとめられる気がしなかったのだ。
でも、結果的によかったと思う。
みんなの話を集中して聞くことができた。
そこには26通りの決意があった。
あんまり話したことのない人もいたけれど、みんなわたしと同じように悩んだり、決めるのが怖かったり、殻を破ろうとしたりしてるんだ、と思いながら聞いていた。
転職を決めた人もいたり、将来は具体的にこうなりたい!と宣言する人がいたり。
みんなのプレゼンに、素直に感動してしまった。
たくさん勇気をもらってしまった。
正直に言おう。
わたしは言葉の企画で友達・仲間をつくるイメージをまったく持っていなかった。
月1回の講義だし、1人で参加しているし、講義だけきちんと聞いてすぐに帰宅するんだろうなと。
それなのに半年が終わってみると、企画生に対して「仲間意識」が生まれていた。
それは、阿部さんがつくった「言葉の企画」という空間のなせる技だと思う。
毎回、講義のあとに感動メモを書く。
自分のためだけの振り返りなら、紙のノートだっていい。だけどほかの企画生に対してコメントを残したり、もらったりすることで連帯意識が芽生えた。
あーこの見方はおもしろいな、この人のこの言葉、共感するな。こういう捉え方もできるんだな。講義での学びも立体的になった。
さらに、noteで発信する。
驚いたのが、みんなかなり生々しく、正直に「全然できなかった」「うまくいかない」「悔しい」と綴っていたこと。
それに感化されて、だいぶわたしも自分の内心をさらけ出したと思う。
これは直接阿部さんにもお伝えしたけれど、noteを書くのが最初、すっごく嫌だった。
自分が真面目に考えていることを、人にあまり話したくない、恥ずかしいという自意識過剰なところがわたしにはある。
だけどみんなの「自分に向き合う強さ」にひっぱられて、素直な言葉を発信することができた。
思いきって言葉にしてみると、とても清々しかった。遠慮する必要なんかなかったんだ、って思えた。
みんなありがとう。
阿部さんにいただいたメッセージ。
来年のわたしは、何を考えているかな。
何を言葉にして、何を企画しているかな。
一歩踏み出せているだろうか。
***
ちひろちゃんから配られた徳島のすだちを、家に帰ってさっそく、母に自慢した。
「すだちもらったよ」って。
母は「どこでもらったの?」とも「誰にもらったの?」とも聞かずに、「うどんに入れたらおいしそうだねぇ」と答えた。
なんだか日常だなぁ、とわたしは思った。
次の日の夜ごはんは、すだちを絞ったあったかいうどん。
うどんつゆをすすりながら考える。
「言葉の企画」は自分にとって特別に楽しい時間だったけれど、特別であることに満足しちゃいけないはずだ。
むしろこれから続く日常のなかで、自分が前に進むための、力に変えることができるか。
楽しかったね、で終わらせないように。
うどんはとてもおいしかった。
ごちそうさまでした。
そして、阿部さん、ありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?