遊びの天才
今日、遊びの天才が現れた。
場所は、日常の中でも比較的フォーマルなとある場所。そこで、その天才は「バーン!バンッ!バンッ!バンッ!」と、ずっと声を出していた。この静かな空間で、周りに響き渡るような声を出しているのは、その人だけ。フロアにいる人ほとんどに、その声が聞こえていただろう。
声が続いた時、私の近くにいた普段子育てをしているお母さんが、「可愛いなあ、何かをずっと撃って遊んでる。お母さんに連れてこられてきたのかな。こんなとこ来てもつまらないもんね。他の子がやってると可愛いって思えるけど、自分の子がやってると『シーーーッ!(静かに)』ってやっちゃう。」と言った。
そして私は、「なんか、子供って遊びの天才だと思った。この場所、大人は空気を読んじゃって静かにしている。でも、あの子は自分の用でここに来たわけじゃないのに、自分なりの楽しみを作り出して遊んでいる。周りがどうとかお構いなしに。」と、思ったことを言った。
そして、「本当にそうだね。子供が見てられるテレビでもあったらいいのにとか思ったけど、そういうことでもないなと今話していて思った。」と、お互いに思ったことを話し、そのBGMを聴きながらまた仕事に戻った。その後気づいたら仕事に集中していて、仕事が終わるまでいつBGMが止まったのか気づかなかった。
仕事が終わり、家に帰ってお風呂に入りながら遊びの天才のことを思い出していた。「自分にとってつまらないはずの時間を、あんなに楽しむことができる。”何を楽しいと思うか”は、もちろん人によって違う。けど、私にとっての楽しいってなんだろう?』
うーん、と考えてみる。今のところ、『思い浮かんだことを実行すること。実行する時間があること。』という答えに落ち着いている。「あれが気になる」「こうしたらどうだろうか」って常日頃いろんなアイディアが頭に浮かぶ。それを実行しているとき、どうやろうか考えてる時、そしてそれを満遍なくできる時間が十分にあると、私はすごく楽しいし、満たされるし、幸せな気持ちになる。そして、その時間に没頭している時は一瞬で時が過ぎる。
今日も、ふとnoteに書こうと思い立って今に至る。お風呂も夕食も食べ終わって、食後のほうじ茶ラテと大判焼きをお供に、思い立ったことを実行している。そんでやっぱり「ああ〜、幸せだなあ」って思う。
***
3年前、まだ東京に住んでいた時、駅から家までの道に花屋さんがあってその前を通るといつも良い気持ちになって家に帰っていた。1日2回その前を通るし、私の部屋にも常に花を飾る習慣があった。その後長野に引越し、本当に無意識だけど、気づくと花を家に飾らなくなってしまった。生活がガラっと変わって、そんな余裕がなくなってしまったのもあるし、買った花がこれまでよりもすぐに枯れてしまうことが多かった。お祝いなどでお花をもらうタイミングもあったけど、自分が飾りたいと思う花を買い、飾る習慣は、すっかりなくなってしまった。
つい先日、突然ふとまた部屋に花を飾りたくなって、久しぶりに花屋に行った。今まで気にしていなかったけど、職場と家の往復の道に、花屋があった。「涼しくなってきたし、自分も良い状態。花を飾るのにいいタイミングかも」と思って、直感で目に止まった花を選んだ。そして、また花を飾る日常が戻ってきた。
自分の中の”遊び” ”楽しみ”みたいな割合が、少しずつ増えてきた感じがする。この半年間くらいは、「これがあれば自分は自分でいられる!」っていう、再発見と再確認みたいな時間を過ごしてきた。今は今で、その検証もしているし、この時間もまた自分の楽しみだったりもする。
突然現れた遊びの天才から、「自分もああやって楽しみを作り出していいんだ」「周りがどう思うと自分が楽しいと思うことは楽しんだ」「そしてあなたは楽しんでる?」、そんなことを考えさせられた日だった。
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