”藤崎 里菜”になるまで②
グラビアアイドルとしてデビューした後、最初は意外と順調な滑り出しでした。
全日本プロレス「チャンピオン・カーニバル」のイメージガール兼ナビゲーターに選ばれ、ぷっ〇ま、お願い〇ンキングなどの深夜枠のバラエティー番組にちょこちょこ出させていただき、デビューして3ヶ月後にはヤングマガジンの誌面にも出させていただきました。
当初、グラビアアイドルになったことは誰にも言っていなかったのですが、
TVや雑誌を見た地元の友達や同級生から
「昨日TV出てたね~!」「この前雑誌見たよ~!」
「グラビアアイドルやってるんだね!すごいね!応援してる!」などの声をいただくようになりました。
そんな順調な滑り出しだった私の芸能生活ですが、
一つだけ引っかかることがありました。
それは、親との関係です。
親はグラビア活動をよく思っていなかったため、
この頃、親との関係は最悪でした。
それまで、親との関係は良好で、すごく仲が良かったので、
親と不仲になってしまったことが本当にとても辛かった。
「そんなの無視して自分が進みたい方に進めばいい」と思う方もいるかもしれませんが、
親のことがすごく大切なので、親を無視して突き進むことはできませんでした。
親の望みはわかっていました。
学校を卒業後、就職して、結婚して子供を産んで…
平凡だけど幸せな人生を送ること。ただそれだけ。
親が私に望んでいることは特別なことではないし、
多くの親御さんが子供に対して思う事だと思います。
そして、恐らく、多くの人がこういう人生を歩んでいると思います。
それなのに、
そんな当たり前の生き方をできないことがすごく苦しかった。
これまで、親に生き方を押し付けられたことも
プレッシャーをかけられたこともありません。
いい大学に出ろ、とか
いいところに就職しろ、とか
ああしろ、こうしろ、と言われたことは一切なかった。
ただ、ささやかで幸せな人生を歩んでくれれば…
それだけが親の望むことでした。
それなのに、
自分がやりたい事をすればするほど、親の願いに反した生き方になり、
こんなささやかな望みさえも叶えてあげられない私は
とんでもなく親不孝者なんじゃないかと、苦しかったです。
私の夢が、”芸能人になる”という夢じゃなければ、
例えば、”先生になりたい”、”お医者さんになりたい”、”CAになりたい”
そんな夢だったら、誰にも反対されなかった。
親も悲しまなかった。
私も誰にも引け目を感じずに、思う存分に夢を追えたのに。
そんな風にも思いました。
そんな事を思いながらしばらく活動を続けていたのですが、
私自身の元来の真面目な性格もあり、
売れるかもわからないのにこのまま芸能活動だけをしていいのか、と考え、
「就職しよう!!」と思ったのでした。
③に続く