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私の情熱の源はモータースポーツにある

モタスポ好きな父に連れられ、2007年の富士スピードウェイへF1観戦に行くことになった。

まだ小学生だった私は、遠出する喜びに心を踊らせていた。

決して裕福ではない家庭(いや、父がカートにお金使ってたからかも)だったから、旅行も兼ねて数泊しながら家族みんなで… なんてことは当然無理で、父は土曜日も仕事して、みんなで夕飯を食べてから、私と父だけでF1観戦へと向かうことになった。母は全く興味ないし、お金勿体無いからと同行しなかった。

深夜に着いた場所はホテルではなく駐車場。このままサーキットへの送迎バスが来るまで車で車中泊という現実。富士山の麓だから深夜の車内は寒かった記憶しかない。

翌朝、送迎バスで富士スピードウェイへ。もちろん指定席ではなくチケットは自由席。自由席といっても席などない。

自由席のメリットは、自由席エリアならば、どこでも観戦できることくらいかな?

決勝は雨。カッパを着ながらの観戦。とにかく寒かった印象しかないし、早く帰りたかった。

決勝が始まる前にセーフティカーが綺麗なドリフトをしながら路面状況をチェックしていた。なんだか楽しそうに見えたなぁ。

スタートはセーフティカー先導による走行が続く。もちろん観ていても寒いだけでつまらない。

ようやくスタートを切ると、この雨の中、想像もし得ないスピードで駆け抜けてゆくマシンたち。エンジン音は鼓膜が破れるんじゃないかってくらい凄い!

現在のGRスープラコーナーあたりで観戦していたけど、興味本位で最終コーナーから駆け抜けてくるマシンを見に行った。

雨が降り注ぐ最終コーナー。水煙を高く上げスポンサーロゴのないアースカラーのマシンが尋常じゃないスピードで駆け抜けてゆく。

F1に興味ない私のはずが、この時ばかりは衝撃が身体中に走った。

何故だかわからないけど、とにかく凄い… いや、イカれてるってば!

帰りの渋滞を避けるためにチェッカー前に送迎バス乗り場へ向かう。同じ考えの人たちで既に行列ができていた。

雨の中、ひたすらバスを待つが、一向に乗れる気配がない。周りはざわつき文句言ってる人たもいる。何時間待たされるんだろう。具合が悪くなった人がいるのか救急車まで来ていた。

結局、自宅に着いたのは深夜だった。私は車の中でグッスリ寝てたから苦じゃなかったけど、お父さんはグッタリという言葉が、身体中から漏れ出していた感じだった。

あの帰りのバス待ち地獄は、私からF1を遠ざけるものだったけど、あの最終コーナーからの映像とエキゾースト音は、しっかりココロに刻まれていた。

その後は、TVでレースを観るようになり、父の趣味であるレーシングカートに乗ってみたい欲が芽生えてしまう。

中学生でのカートデビューは、もう生きて戻れないんじゃないか?ってくらいの恐怖体験だった。

私は女子中学生なのに、翌週にレースを控えた強者どもが集まっている日曜日に、父は私をカートデビューさせた。

一度もカートに乗って運転したことないのにだよ?もう、おしっこチビりそうな恐怖でしかない。

父はひと言、「大丈夫!みんな勝手に避けてくれるから、おまえは後ろを気にせず走れ!」と。なんのアドバイスにもなっていない言葉を、さも名言かの如く伝える父を、この時ばかりは恨んだよ。

押しがけできないから、シートに座って父による殿様スタート。ピットロードをノロノロと走りながら片腕を上げコースイン。

みんな、私の横を爆速で駆け抜けてゆく。

レコードラインなんてわかんないから、ひたすら端っこを安全運転。最初はマジで怖かったけど、みんな上手に抜かして行ってくれる。しかも手を上げて挨拶までしてくれるなんて、皆んな紳士じゃんか!

安全運転なのにヘトヘトになりながらピットへ戻ると、タイヤは走行前より大きくなっていた。

端っこばかり走っていたからタイヤかすを拾っていたらしい。頼まれてもいないのにコースの掃除をしていたわけだ(笑)

私のカートデビューはコースのお掃除で終わりを迎えた。

同じマシン&エンジンなのに、あれだけのスピードでコーナーを曲がっていくことが信じられないし、ヘルメット越しから見るあの映像は、富士スピードウェイの最終コーナーで見て感じた映像とシンクロし、あの時と同じ衝撃を体が感じていた。

その後、父がカートに行く時は、必ず着いて行くようになり、準備や片付けなど手伝いながらカートを学んだ。数ヶ月もすると、私と父の立場が逆転していたことは言うまでもない。

おしまい(たぶん続き書きます)

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RiNA@ものかきのまねごと
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