フランス4 全てが「華の都」パリ(コンチキツアー 1-22)
ずっと参加したかった、英語を使った国際ツアー「コンチキツアー」での思い出です。
旅にまつわる音楽を聞きながら、記事をお楽しみ下さい♪
華の音楽
「天国に近い曲」ラヴェルの『ピアノ協奏曲第2楽章アダージョ』に、前回記事『フランス3 ラヴェルから、天国への誘い』で登場してもらったが、この天国にいる気持ちにさせてくれる第2楽章には、続きがある。
ピアノ協奏曲は、ピアノとオーケストラで作り上げる音楽で、大体3楽章で構成されていることが多く、このラヴェルのピアノ協奏曲も3つの部分、つまり3楽章で成り立っている。
亡くなる6年前に書かれたこの協奏曲。
前回の記事で出て来た第2楽章に続き、第3楽章は、アラームが最大音量で鳴る様な打楽器音で始まり、天国の夢からいきなり私達を目覚めさせてくれる。
ラヴェルは、まだまだこの世に未練があったのか。
コンサート会場で、柔らかな第2楽章でコクリコクリと眠りかかった人達が、第3楽章で必ず起こされている。
フォンテーヌブローからパリについた時は、まさにこの第3楽章の冒頭の様な感覚だった。
フォンテーヌブローの夢からまだ抜け出せず、ウトウトしていた私を起こしたのは、ルームメイト・ジュリーの歓声だった。
「きゃぁっ!これ、本物?」
目を開けると、ラヴェルの第2楽章は一気に第3楽章に変わった。
輝きに満ちたこの街は、世界中の人が行きたいと切望している、あのパリだった。
何もかもが動いている。
車も人も、建物までも動いている様に見えた。
強烈な打楽器音の後はワクワクした気持ちにさせてくれるピアノが登場し、パリに着き高ぶった気持ちを抑えきれない、私達コンチキツアーメンバー全員の気持ちを表現してくれているかのようだ。
曲は都会的で明るい雰囲気が続き、なんと、ゴジラのテーマに似たメロディーまで登場する(ちなみに、ゴジラのテーマの方が後に完成している)。
その躍動感溢れる音楽はまさに、「華の都」と呼ばれ、朝から夜まで動きを止めないパリそのもののように感じた。
この華やかなラヴェルピアノ協奏曲第3楽章は、パリ滞在中、脳裏で愉快になり続けた。
華の歴史
凱旋門、ノートルダム寺院、バスティーユ広場、世界史の表舞台が目の前に広がり、バスを降りて観光する時の私達のテンションは最高潮に上がった状態が続いた。
革命を含めて、そこには華がある。
イギリスの産業革命はそこまで小説や映画にならないのに、フランス革命が『マリー・アントワネット』『レ・ミゼラブル』などの名作に繋がっていたのは、そこに華が存在していたからかもしれない。
ノートルダム寺院はウィーンのシュテファン寺院の様な存在で、「音楽の都・ウィーン」との共通点を感じられたのも嬉しかった。
ステンドグラスや内部の造りは、ノートルダム寺院の方がシュテファン寺院より女性的に感じた。
「どう?飛べてた?」
「ナイスジャンプ!Rina、あまりに完璧すぎて私、妬いちゃう」
「ジュリーの撮り方が、今回もタイミングバッチリだったんだよ」
ノートルダムを前にして陽気な気分がおさまらず、思わずツアーメイト達とジャンプをして撮影した。
華のライトアップ
パリの華々しい歴史の中で外せないエッフェル塔も、もちろん全員で訪れた。
頂上からの景色は、そう簡単に忘れられるものではない。
「Rina、このレストランでそのフランス人と再会する予定だった?」
「うん。ディナーに招待するってことだったんだけど、その子、今カリブ海を旅行中で」
「残念だった?でも、その代わりこうやって一緒に、いい思い出を作れたね」
優しい風に揺られ、少しずつライトアップして行くパリを見つめ、フランスの友人との美しい想い出を思い出しながらも、別れが迫っているツアーメイトとのサンセットを心から感じ切る。
なんとも贅沢で、華の時間だった。
私達がエッフェルタワーを降りると、時間はちょうど23時になり、タワーは一時間に一回しか見られない貴重なシャンパンフラッシュを始めた。
そのまばゆい光は、ツアー最後の日が特別な日になることを予告してくれているかの様だった。
華の美術館
「2日でパリを巡る」というミッションは、いくら若くて元気なコンチキツアーのメンバーでも、相当至難の技だった。
私達は、まさに『ラヴェルピアノ協奏曲第3楽章プレスト(非常に早く)』のごとく、パリの町をひたすら走り回った。
また「2日間でパリの美術館を巡る」ということだけでも限りなく難しいのが、このパリだ。
ツアーガイドのルーカスに率いられ、コンチキツアーメンバーは朝一でルーブル美術館に並んだ。
社会や美術の教科書で見た、「モナ・リザ」や「ナポレオンの戴冠」、「民衆を率いる自由の女神」、数々の生気みなぎる彫刻、短時間でも心に留められる様にと、どれも集中して見た。
「今何時?」
「……!もう14時過ぎてる!オルセー行かないと!」
このルーブル美術館、超特急で見どころをできる限り回ったつもりだが、時間が本当に足りなかった。
ウィーン美術史博物館同様、一年パスを買い、一年かけてやっとじっくり鑑賞しきれるかというようなスケールの、ルーブル美術館。
急いでたくさん見るよりは、諦める絵画も決めて、お目当ての絵画をじっくり感じた方が得策だと悟った。
オルセー美術館は、実はルーブル美術館以上に楽しみにしていた。
お目当てのルノワールやモネの絵画との対面に感激しただけでなく、ドガ、セザール、シスレー、シニャックなど、印象派やポスト印象派の画家の名絵画もたくさん目にすることができ、私は19世紀から20世紀前半のフランスの美しくも激動の世界に身を投じた気分になった。
「今夜は、ルノワールの時代の夢を見そう!舞台は、彼が晩年を過ごした南フランスで……」
「いいね、Rina!でも、果たして今夜は眠れる時間なんてあるのかな?」
本当に、時間が足りなかった。
オランジュリー美術館やマルモッタン美術館なども訪れる予定だったが、そうなるとカフェに行く時間がなくなってしまうので、泣き泣き美術館は2館で諦めた。
この時諦めた美術館は、国際ピアノコンクールで再びパリに滞在した時、ゆったりと訪れられた。
10館ほどの美術館を訪れたが、これでも3分の1も達していないほど、パリの美術館はスケールが大きく、その上華がある。
華のグルメ
「ラデュレにしようよ」
「えっ、アンジェリーナでしょ?」
「時間ないよ!とりあえずポールでバケットを食べようよ」
「ボーイズ、パリでカフェに行かないなんて!」
私達は、キャバレーに行くまで数時間に迫った時間を有効に使おうと必死になり、短時間で色々な所をはしごした。
ひっくり返したアップルパイ「タルト・タタン」、アンジェリーナの「マカロンケーキ」、ラデュレのマカロン、ポールのほうれん草パイ。
「うーん、美味しい〜!」
「Rina、美味しそうな顔もバッチリ撮ったわ!そろそろ、キャバレーに向けてホテルでメイクしなきゃ。行ける?」
「ゔ……ゔぐ…ゔん…!」
早食い競争に出演しているかの様に急ぎ食べる私達を、カフェの人達は笑っていたかもしれない。
最初のパリでは美食をゆったりと優雅に楽しむ所までは行かず、それは、3回目以降の訪問でやっと巡って来た。
ただ、早食いをしてもパリの食べ物は美味しい。それも、格段に。
さすが華の食文化を持つ町・国だ。
華のキャバレー
ホテルで急ぎメイク直しをし、服をワンピースに着替え、髪を巻き、サンダルをパーティー用の靴に履き替え、私達は無事キャバレーナイトに間に合った。
フランスで一流の歌、ダンスとフレンチカンカンが楽しめる、キャバレー。
コンチキツアーでは、キャバレーでも特に有名な「ムーラン・ルージュ」でのフルコースディナーが用意されていた。
「最後の晩餐にぴったりだね。乾杯!」
「あのエディット・ピアフや、フランク・シナトラもここで歌ってたなんて、ゾクゾクしちゃうな」
新体操やサーカスを見ている錯覚にも陥る、軟体動物の様なダンサー、美しいフランス語をより魅惑的に歌い上げる歌手、食事をする手が止まるほど、皆魅力的だ。
サービスからかお客様参加型の場面もあり、私達コンチキツアーメイトのティム2番が彼らに混じって素晴らしいダンスを披露したのも、ますます盛り上がった。
「ティム2番、数年後はカナダからパリに移住してたりして!」
「すごく爽快だったよ!移住、真面目に考えよっかな」
そして、何よりも最後に盛り上げを見せたのがフレンチカンカンだった。
祖母に宝塚歌劇に連れて行ってもらっていたから、種類は違うと思うが、このシーンは宝塚と少し似ていて懐かしさも感じた。
最後の晩餐に加えツアー全員で見たキャバレーも、忘れられないものになった。
華の夜
素晴らしいキャバレーナイトを堪能し、高揚した気持ちでホテルに戻るのが従来のツアーだろう。
ただ、このコンチキツアーはここからが新たな始まりだった。
「みんな、“ムーラン・ルージュ“の向かいに最高に盛り上がれるバーがあるんだ!最後に盛り上がろうか!」
ガイドのルーカスの提案に大きな歓声がわき、私達はパリでも有名なパプバー「O’sullivans」へと徒歩で向かった。
すでにキャバレーナイトで酔いが回っていた私達だが、このパブバーで私達の酔いは更に加速した。
ツアーメイト達と交わす乾杯は陽気な中に、明日はもうお別れだという切なさもあり、特にルームメイトのジュリーや姉妹、兄弟の様な仲になった友人達とは何度も熱く杯を交わし、そして踊り明かした。
アメリカ、カナダ、オーストラリア、ブラジル、メキシコ。
これらの5カ国が彼らのおかげでますます好きになれたし、彼らと訪れたツアーの国々は、自分だけで見る国々よりもずっとユニークなものになった。
飲み、踊りながら、時折それぞれの国の思い出話にもなった。
「スイス辺りから、RinaがNinaになり始めたんだよな」
「もう、Ninaの話はやめて〜」
「ううん、Rinaはすでにオランダで大人のケーキを食べた時から、Nina炸裂だったじゃない!」
「生還できてホッとしたよ。相棒ジュリーのお陰だね!」
熱気が増すバーで私達・旅人が飲み踊り明かしていたら、そこに現地のフランス人達も合流してきた。
旅人と現地人との交わりは、イタリアとはまた違う形で熱かった。
踊り方、話し方、その他、彼らは甘さ、熱さ、洗練さをバランスよく備えていて、旅人に素晴らしいインスピレーションを与えてくれた。
私達コンチキツアーメイトにとって、最後の夜。
パッションは、最高潮に達した。
フランス人と共に旅人は、少し、ハメを外しすぎたかもしれない。
最後は情熱が加熱しすぎ、男性達は乱闘まで巻き起こし、とんでもないドラマまで起こった。
まさに行き過ぎた、華の夜。
パリならではの、華の夜。
忘れられない夜をこのコンチキツアーでたくさん味わったが、最後のパリでの夜は特に印象深い夜になった。
輝きを一刻も早く
全てにおいて、華の都・パリ。
その輝きは数度の再訪でますます感じたが、初回コンチキツアーでのフレッシュな体験は、当時ならではのものだったと思う。
初めてのパリの輝きは衝撃的で、誰にとっても忘れられないものになるだろう。
一刻も早くコロナが滅亡し、世界が平和になることを願い、その後、まずは少しでも若い内にパリの輝きを感じ、そして自らの輝きもパリに残して頂きたい。