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”書く”世界、「先生、あのね。」から始まったと思い出したんだ。
先生、あのね。
「先生、あのね」で始まるあのね帳。
小学校の低学年の頃だっただろうか、担任の先生との交換日記のようにノートでのやりとりが繰り広げられていた。
交換日記といっても、先生はコメントを返してくれるだけで日記は書いてくれないんだけどね。
小学生の私は、このあのね帳が大好きだった。
小学生時代に限らずその後もずっと、先生達から見たら「とても大人しい子」「人前で発言しない子」と認識されていた私。
特に先生と名の付く立場の人の前だと言葉が出てこなくなる。
目の前にすると伝えられない、自分を表現できないのだが、不思議と紙面上だとそれができた。
直接話すことなど少なかった先生と、紙面上では対話する。
コメントを返す側も、紙面上のほうが一拍おけるからか、実際の会話より寄り添った言葉になる気がする。
返事を返すまでに与えられた時間って、相手の事を考える時間でもあるから。
そんなことを当時の私は感じとっていたのか、あのね帳の中でなら先生と対等に話せる、そんな気がしていた。
そして、決して否定されないし寄り添ってくれる。
いや、たぶん私は、私を表現できる場があのね帳だったんだろう。
私の表現はクラスメイトの子達には通じない。大人を相手にしたかったのかもしれない。
先生は先生で、あのね帳を書きましょうと提案してきた立場だからね、ちゃんと答えてくれるしね。
ちなみに、両親にもあのね帳を提案して家庭内に取り込み少しやり取りした気がするが、数回往復したのち、”大人の忙しさ”という壁が見えてきた。
そしてノートの返りが滞るようになり、こちらも気を使って(というより、楽しくなくて)自然消滅した記憶がある。
やはり、義務感があるとないとではね…。
オトナになった今の私は、当時の両親の気持ちもよくわかる。
と同時に、子の身の回りのお世話も大切だけど、こっちも同じくらい重要な事だったろうにな、とも。
そのことに気づいてなかった両親も若くして親になったんだな~と、どこから目線だか分からない目線で納得してしまう。
そんなこんなで、先生相手のあのね帳にハマっていた私。
分かってくれる嬉しさというよりも、自分の感じたことや考えを存分に表現できる場、そしてそれに反応をもらえるということ。それが当時の私にとってのあのね帳の魅力だったのかもしれない。
クラスメイトのお友達のほとんどが「あのね帳、めんどい」とこぼす中、あのね帳が自分の手元に返されると、帰宅後ランドセルを放り出してすぐさま書き込んでいた。
どんな内容だったか詳細は覚えていないけど、書いている最中の感覚と感情は今でもハッキリと覚えている。
胸が高鳴るワクワク感。
そして、解き放たれたかのような自由な感覚。
今でも文章を書くという行為を苦なくできるのは、この頃のあのね帳の存在が絶対的に大きい。
私に”書く”という自由と表現の場をくれたあのね帳。
赤いフェルトペンで綴られた数行の文字と大きな花丸は、私にとって初めてもらったコメントといいね!であり、今も当時と同じことをしているんだなぁと少し可笑しくなった。