花束と違和感

友人の婚約祝いにと、彼女らしい色を一本ずつ選んだ花束は、色鮮やかで美しかった。スポーツ万能で元気で溌剌としたオレンジと、恋愛が上手くいないと夜のラーメン屋の軒下で泣いていた淡い水色。こういう時、赤いバラを送るのが普通なのかな、と思ったけれど、色濃い思い出を集約してしまうのが惜しかった。

私は人に花を贈るとき、どんなにまとまりがなくても、青のカーネーションを一本だけ入れる。花言葉は「永遠の幸福」。肌触りのない時間というテーマにおいて、「永遠」と言い切れるのは花にしかない強さだと思う。

人間に生まれると、瞬間風速を感じる産毛だけはやたらと敏感になる。そして、違和感や理不尽から逃げるように心の内に留めていると、繊細さはどこかに抜け落ちてしまう。ようやく失ったことを気づいた3年後にはもうステージ4で、手遅れ同然。たくさんの心許した友人たちを、一気に適応障害によって同じステージから失った2年前から、もう悩んだ軌跡や違和感は全てnoteに昇華しようと思った。夜道を白線に沿って石ころを蹴りながら、トボトボと靴紐のゆるんだつま先を見つめる。新調したはずの靴なのに、石灰みたいな白い粉がついている。木造イタリアンの赤いライトに照らされて、ここのオジちゃんオーナーはよくしゃべるんだと思い出す。ふと次の歩を進めた瞬間、石が車道に元気よく飛び出した。秒針はそのまま流れている。

花を贈った友だちには、その夜のワタシの狭い地球上でいちばん幸せな話をきいた。ホッキョクグマが暖炉をみつけたときのきもち、と即座に思ったが、よく考えたら北極なんて寒ければ寒いほど良いに決まっている。暖炉をよろこべる地球でありますように。違和感を消さない。

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