自分の身に起きないと、分からないなんて。
よく言われる「知る」と「分かる」について今、考えたこと。
満床、満床、また満床
私の大叔母(母方の祖父の妹)が、新型コロナウイルスの陽性だと診断された。87歳ひとり暮らし。
母宛に大叔母のヘルパーさんから電話があったのが18時。入院の手続きは家族でないとできないし、そしてなぜか彼女が救急車を呼ぶこと自体を嫌がっているらしく、困って私の母に連絡が来た、らしい。
そのとき母と私は千葉の実家にいて、大叔母の家は東京日野市。車でも片道2時間、電車だと3時間かかる距離だ。すぐさま駆けつけられないため、取り急ぎ本人の意向を一旦無視して、母は急いで救急車を手配した。
しかし、救急隊員の方から来た返事は
「受け入れてくれる病院がすぐ見つからない状態です。最悪自宅待機していただくこともご容赦ください。本人の意識はまだあります。」
その後、再び救急隊員の方から受け入れ可能病院が見つかったと連絡があったのは、そこから1時間後のことだった。
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結局大叔母は無事だったのだけど、私がその間思い出していたのはあるニュースだった。
満床を理由に10件もの病院から受け入れを断られ、新型コロナ感染に伴う播種性血管内凝固症候群によって死亡してしまった10代の男の子。基礎疾患もなく、ワクチンも2回とも接種済みだった。
私はそのとき、口でこそ「いたたまれないね」とか「医療現場、やっぱり大変なんだね」とか言っておきながら、その実どこか、他人事だったのだ。
対岸の火事の熱さは、どこまでいっても感じない。
今回、大叔母が入院を断られ続けた「事実」を目の当たりにして初めて、私はゾッとして全身が粟立った。
自分の中の「知る」と「分かる」の距離を感じた瞬間だ。
行動と折り合い
思い返せば3.11の時だって、これだけ多くの人が被災地に対して行動する中で、私は何もしなかった。沢山感じたことも考えたこともあったけど、結局何もしなかった。ニュースで見る悲惨な光景に対して、テレビの前で呆然と口だけ気遣う「その他大勢」の中の一人だ。
実際に現地に行ってボランティア活動をした人と私とでは、その惨状に対しての距離がどのくらい違うのだろう。
今日が11年目。
「あの時どこにいた?」という会話も久しくなってしまった。ボランティアに行かない自分を後ろめたく思う自分も、とうにどこかに行ってしまった。
私は今でも、想像をすることでしか被災地を慮れない。
それが「私と3.11との距離」だと、納得しようとしているのかもしれない。
し始め
そんなことを考えながら、今日のニュースを見る。
私は今、ウクライナで戦争が起こっていることを知っている。
爆弾が当たって街が壊れていることを知っている。
人々が恐怖と戦いながら、必死に家族を守ろうとしている姿を知っている。
でも、その爆弾一発でどのくらいの衝撃があるのかは分からない。
明日死ぬかもしれないという恐怖心も、実際に人が死んだ時の匂いも分からない。
叶えたい夢があって、一緒にいたい人がいて、食べたいものがあって、それらすべてに対して、工夫することすら許されない環境が分からない。
聞きかじった文字面で知った気になっていて、自分が「分かっていない」ことだけが、分かっている。
私は、今日やっと、「ウクライナ 今できること」でGoogle検索をした。
この戦争に関しての見解を、「まだよく調べられていないから」という理由で何も言わないまま逃げていたけれど、事実として困っている人は沢山いる。
日本赤十字社のウクライナ人道危機救援金というものを見つけて、それに募金した。
きっとまだまだ「分かる」には程遠いけれど、想像することはできる。
それから今できることを一つずつ、行動にしていけたらいいと思う。