受け取る側の、考え方まで。
「日本の社会福祉の歴史は、制度や法律に合わせる形で発展をしてきた。」という内容の本を読んだ。
じゃあ他の国はどうなんだろう、と比較してみたとき、私はこの発展の仕方に日本の社会福祉の課題があるんだろうな、と思うようになった。(1,453字)
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スウェーデンの高齢者福祉の例を挙げる。
スウェーデンでは「家族は高齢者福祉を担う資源としては不十分なので社会が担うべき」といった考え方があり、高齢者は「社会的にケアする対象」だと考える社会的イデオロギーが強いらしい。
また、血縁や婚姻関係にこだわらず、介護家族を支援するサービスは「最も親しくしている親近者」も含まれるという。変な話隣の家の人間でも良いのである。
日本の社会福祉が「制度や法律に合わせて」発展してきたのであれば、スウェーデンでは人間の生活や時代の変化に合う制度や法律を作り、発展してきた。彼らは支障が出た時に始めて制度を変えていっている。
一方で日本は高齢者扶養は「家族が扶養すべき」という保守的イデオロギーがまだまだ強い。「家制度」や「親孝行」といった儒教道徳の名残もあってか、血縁・婚姻関係による扶養が重視されている。
その結果がどうだろう。家族介護を無理に行い、結果として虐待や殺害といった不適切なケアにつながってしまい、家族崩壊を招くケースだってある。
「家族が面倒を見るのは当たり前」という考え方を私もどこかで持ってしまっていることに気づいたとき、私は正直ゾッとしてしまった。
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それではスウェーデンのように「公的社会的にケアする対象」だとして福祉を充実させよう、とはいかないのが現状だと私は思っている。
なぜなら日本ではこの保守的イデオロギーを、扶養する側だけでなく扶養される側も持ってしまっているからだ。
ここ数年で日本の介護施設の増設や介護職の待遇の改善は少しずつ実行されてきた。厚生労働省の「社会福祉施設調査」では、2014年に9,632件だった施設数は2020年には15,956件にまで増加しているし、2021年11月の閣議決定において介護職員処遇改善臨時特例交付金が新設され、2022年4月から福祉・介護職員を対象に、収入を3%程度(月額9,000円)引き上げるための処置を実施することが決まった。
こうしてみれば日本の高齢福祉に対してのインフラやソーシャルケア人材に対しての待遇は(もちろんまだまだ不足はあるものの)、ようやく整備され始めている。
しかし高齢者が施設に入ったとしても、入居者はすぐに帰宅願望を介護職員に申し出る状態だという。自分が受け入れてもらえる心休まる環境に身を置きたいと思うのはごく自然なことだろうとは思う。
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ある女性に話を聞く機会があった。
彼女は「家族に迷惑をかけたくないから施設に入ってよかった」と言う一方で、「施設に入ることをすんなり承諾されたとき、家族に見放されてしまった気分にはなった」とも言っていた。
やはり最後は自分が落ち着ける家で過ごしたい。
家族に面倒を見てもらいたい。
他人に迷惑をかけたくない。
施設に入ること自体が、まだまだ入居する側も送り出す側の家族からも、ネガティブに捉えられがちなのが日本の高齢者福祉に対しての固定観念なのだと私は思う。
冒頭に「日本の社会福祉の歴史は、制度や法律に合わせる形で発展をしてきた」と記載したが、私はその背景として、日本人が自ら進んで制度や法律を頼り、もっと言えば「制度や法律がなければ福祉を受け取らない」という風土ができあがっているんだろうな、と思った。
日本の社会福祉の本質課題は制度でも法律でもなく、それらの仕組みづくりと合わせて「考え方」を変えてこなかったことでもあって、また、変えるための自主的な精神が根付いてこなかった点にあるんじゃないかなあ、とぼんやりそんなことを考えた。